2016年02月19日

広い心

KAO(中1)

 私は空を見上げた。

 その空はいつもの私とどこか似ていた。
 それは何も考えずにいる真っ黒な空だった。

 けれどなぜか明るい面も持っているようだった。
 一つの色で統一し正々堂々としていたからだ。
 自分をきちんとアピールしている。
 私は、とても憧れの気持ちが強くなった。

 空のいい所はとても心が広く、この世の中の全てを受け止めている所だ。
 とてもすごいと思う。
 そんな空にはこれからも、この世界を広い心、優しい心で見守っていてほしい。




文集作成のため過去の作文を整理していたら、短い素敵な詩のような作文がでてきました。もう1年ほど前に書かれたもので、書いた当時のKAOさんは小学6年生でした。新しい生活を目前に控えた時期だけに、何かに憧れを抱く気持ちが膨らんでいたのかもしれません。夜の散歩中にほんのひととき見上げた黒い空に思い巡らせ綴られた言葉は、自分の目指す理想像が書かれているようにも読め、あるいは自分を日頃から守ってくれている存在に対する憧れの気持ちが書かれているようにも読めます。
短くてもKAOさんの想像力、感受性の豊かさが感じられる魅力溢れる文章でした。

塾長


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2016年02月13日

冬のロッククライミング

JION(小5)

 「あーあー手が凍って痛い。」
 あと少しで一番上に行ける。足を次の石につけて、曲げて、さらにのばすと体が上がった。やっと最後の石をにぎることができた。
 そこで、ぼくはすぐに
「おねがいします。」
 と係員の人に言った。係員の人は、ぼくの体を支えるためにロープを引いてくれた。ぼくは、かべを手で押してはなれた。すると、ぼくの体が、ふわっと浮いた。ぼくの体は少しずつ下りていった。両足できれいに着地することができた。そうすると、ぼくの体は地面に着いたので安定した。

 今日、ぼくは、ロッククライミングをしに来ている。これから登るのは、斜面が初めから自分の方にかたむいているかべだ。二回目の方がむずかしそう。
 「よし。」
 と気合を入れて、手を石にかけた。最初は自分の方に、かべがかたむいているので、頭を後ろに下げて、手を上げて、足を上げてを繰り返す。そうすると、バランスが取れる。ちょっとずつ上に上がっていった。しばらくすると、かべが地面に対してまっすぐになってきた。けれども、石の数が少なくなった。石の数が少ないから、登りにくくなった。
「あーむずかしくなった。」
 ぼくは、一人でつぶやいた。つかまる所が少ないので、ぼくは、すぐ上の石に乗り移って移動した。なぜかというと、石の数が少なくて止まる場所がなくて、石を手でにぎっていると、つかれてしまうからだ。体力を失うと、落下してしまう。

 それから最後の難所だ。最後は、最初の方で体力を使っているので、体中痛くて、とてもやりにくかった。石を早く登っていくと、頂上についた。
 最後まで行けてとてもうれしかった。達成感があった。
 下りて、見上げると、かべが小さく見えた。




 まだ作文を初めてから日が浅いJION君にとって、教室以外のことをじっくり書くのはこれが初めてでした。
 色々と状況説明をしたくなるところを、あえて「あーあー手が凍って痛い。」という独り言から始めてみたのは良かったですね。そこからは読む人の多くにとって、あまり馴染みのないロッククリミングが題材とあって、どこまで説明を入れるべきかというむずかしさのある中、記憶をたどりながら丁寧に書いてくれました。最後の一文、『下りて、見上げると、かべが小さく見えた。』は、物理的にも精神的にもかべを一つ乗り越えた時の心境を見事に捉えた一文でした。この一文が書けただけで、今回の作文を書いてもらって良かった思えるほどの素晴らしい一文でした。

塾長

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2016年02月12日

友達とタピオカ

YUKA(中2)

 外に出て、少し歩いていると、つい一昨日来た道が広がっていた。時間帯のせいもあるのか、前に開いていた店が沢山閉まっている。しかし、パチンコ屋がある辺りは、いつも通り明るく光っていた。
 そんな中、私は色々なことを考えていた。
 例えば、学校のことだったり、タピオカの上手な吸い方などを考えていたが、一番私の頭の中を占めていたものは、「SHISHIMA(シシャモ)」というバンドのことだ。このバンドは、最近友達に勧められて知ったバンドだが、聞いた途端すぐにはまってしまった。
 「SHISHIMA」の歌で、「脇役」という曲の一節に、「友達は何人ですか、一人です、さみしいなんて思わない、量より質と教わったから」というものがある。私は、この歌詞を聞いて、最近「友達」というものについて考えるようになった。未だ「友達」の本当の意味を私は理解できていない。悩みだって沢山ある。しかし、この意味が全て解った時に今の悩みが全て吹っ飛んでいたらいいなと、先生に買ってもらったタピオカを飲みながら考えていた。
 次は、その本当の意味での友達と一緒にタピオカを飲みたいと思う。



うちの塾では良く散歩にいきます。ひとつには季節を感じたり、周りを観察したりすることで作文のネタになるからです。でも、時に散歩は、自分の考えを整理したり、自分と向き合ったりする時間にもなります。
YUKAさんの作文は日頃から内面の葛藤や悩みに踏み込んで書いてくれることが多く、同じ年頃の人の多くが抱える問題にも正面から向き合っている印象があります。今回もちょっとした散歩の中で、友達というものについて、まだ答えは出ないものの、思いを巡らせている様子が良く伝わってきます。また、「友達」の話に繋げるために歌詞を引用する際には実に適切な選択がなされていて、YUKAさんの友達というものに対する立場が理解しやすくなっています。そこに感覚の鋭さやセンスの良さを感じました。

塾長


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2016年02月01日

一度しかない時を大切に生きる

MAYO(高1)

 小学校の勉強きらいなんだって?
 ベトナムの部落の人たちは、毎日この丸太橋を渡って、水汲みにも行くし、町にも行く。子どもたちだってこの橋を渡らなければ学校にも行かれないんだよ。
 この絵はがき、君にあげるよ。


 こんな文章といっしょに一枚の絵はがきと四枚ほどの手紙が机のひきだしの中から出てきた。

 まず絵はがきの話をしよう。絵はがきは二年前に亡くなったベトナムのおじさんに小学生の頃にもらったものだった。この絵はがきを初めて見た僕は、おそらく『ベトナムの人は大変だな。』くらいにしか思っていなかっただろう。しかし、高一になった今、再び絵はがきを見てみると、色々なことが感じられる。今年、僕は無事に中学を卒業して高校生になった。日本ならば普通のことだろう。しかし、ベトナムでは家の仕事などで学校に行けない子どもがたくさんいる。それに比べて何もしなくても小学校に通い、中学に通って、高校に行けるのはとても幸せなことなのだ。だから学校がめんどうくさいなどと言って学校をさぼったりするのは、学校に行けない子どもたちを馬鹿にしているのと同じことなのだ。僕が思うにおじさんは絵はがきをくれた時に『君は学校に行けて幸せなんだよ。』ということを言っていたのだと思う。

 次に手紙の話だ。絵はがきといっしょに出てきた手紙は、おじさんが亡くなる一年前(僕が中一になった年)に送られてきたものだった。この手紙を読むのは確か二回目だった。『今年も新年を迎えてもう二ヶ月もたちました。』という書き出しで手紙は始まっていた。まるで遅れてきた年賀状みたいだった。しかし、後の文章には不思議なことが書かれていた。それは『おじさんは人にはあまりおめでとうとは言わないんだよ。』と書いてあった。その理由は手紙の三枚目と四枚目に書いてあった。

 世間の人はお正月や入学式などによく(おめでとう)と言う。しかし、ほとんどの人はそういうシキタリだから言っているにすぎない。例えば正月は何がおめでたくて(おめでとう)と言うのか、僕も手紙を読むまでは知らなかった。正月のおめでとうは、「自分のこれまでの人生には嬉しいこともあったけど、悲しいこともたくさんあった。今日から始まる一年が、嬉しいこと、楽しいことのたくさんある一年になってほしい」という意味がある。僕以外にも知らなかった人は多いのではないか。

 おじさんが僕に中学校入学時におめでとうと言わなかった理由は、中学が義務教育だからだ。しかし、中学を卒業したら義務教育は終わり、高校に進むか就職するかは親と自分の問題になる。おじさんは僕に、中学から高校に行くか行かないかが僕の人生で初めての分かれ道になるだろうと言っていた。おじさんは僕に高校に行けとは言わなかった。自分の道は自分で選ぶのだ、と言いたかったのだろう。そして僕は高校へ行くことを決めた。

 最終的におじさんが言いたかったのは、一人の子供が少しずつ大きくなって大人になり自分の道を自分で決めるのはとても大変で、今の自分がそうであったということだ。だからおじさんは僕に簡単におめでとうと言えなかったのだろう。分かりやすく言えば、これからが大変な人におめでとうとは言わないのと同じだろう。

 手紙はピッタリ四枚で完結していた。手紙をもらった頃の自分はまさかおじさんが次の年に死ぬなんて思ってもいなかっただろう。今度戻ってきたら、また将棋をやろうと思っていた。おじさんから日本に届いた最後のメールには、


 今年は、五月か六月に帰国しようと思っています。MAYO君とRANちゃんへ。今度いつか日本で会うときは、二人がどんなふうに変わっているか今から楽しみです。


 と書いてあった。そのメールを書いてわずか十五日後、おじさんは自宅で倒れ入院、二月七日に永眠した。

 おじさんが亡くなってから数ヶ月がたった頃、親戚の人たちでおじさんへの追悼文を書いた。僕も書いた。また、あの長い手紙もそこに載せられた。しかし、僕がおじさんに書いた文章はたったの三行だった。数える程しか会っていない僕に毎年のように長い手紙をくれたおじさんに、たったの三行しか書けなかった。自分に関係のある人がこの世を去っていったのは三度目だった。しかし、初めの二度は自分が幼く、まだ人が死ぬことについてよく分かっていなかった。十三歳になって初めて人が死ぬということを知った。だから自分は驚いていたのかもしれない。しかし今の僕ならもっと書けるだろう。

 もし今もおじさんがいたならば、社会人に一歩近づいた自分を見てもらいたかった。そしていつかおじさんに、「おめでとう」と言わせたかった。


 義春おじさんへ

 もうおじさんが亡くなって二年もたちました。僕は無事に高校に進学しました。おじさんの言っていた人生最初の分かれ道を過ぎ、二つ目の分かれ道に向かっています。おそらく次の分かれ道は大学に行くか高卒になるかでしょう。自分としては、高専に入ったからには、五年間学校に行って良い仕事に就こうと思っています。それと、おじさんの作っていた日越辞書が届きました。でも、おじさんはこの辞書が完成する前に死んでしまったのでとても残念でもあります。もしも生きていたら、ベトナム語の読み方くらいは教わりたかったです。

 最後に、短い間でしたがありがとうございました。おじさんのおかげで僕はこれからどのように生きていけば良いかが見えました。一度しかない時を大切に生きようと思います。        




ちょっとブログで紹介するには長いかもしれません。でも、あまりに素敵なので紹介しちゃいました。書いてくれたMAYO君は高校一年生の男子です。この作文は彼が当塾で書いてくれた最後の作文、いわば卒業作文です。やんちゃで可愛らしい小学生だった彼が、この歳になるまで通ってくれたこと、こんなにも心に響く本音の言葉を照れることなく書いてくれたことに感謝しつつ、その成長を嬉しく思います。
作文は亡くなられたおじさんの手紙をたどる形で彼の成長を著したものです。彼のことを知っている人と知らない人ではそれぞれ感じ方は違うでしょうが、高校一年生の男子が書くまっすぐな言葉をお読みいただき、何か感じていただければ嬉しく思います。
MAYO君、これまでお疲れ様、どうもありがとう!これからが本当の勝負ですね。応援してます!

塾長

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プロフィール
名前:塾長
自由が丘で作文教室を運営。
小学生から高校生まで広い年齢層の子供たちとともに、書かされるのではなく、書きたくなる作文を目指して活動中。