2018年03月31日

It〜 イット

IBUKI(中3)

  袋を開けると白い冷気が出てきた。袋から取り出そうとすると袋にくっ付いて素早く取り出すことができなかった。棒を持ちながら歩いていると、手に冷たい空気が落ちてきてひんやりした。それは妙に冷たく口に入れると頭が痛くなりそうだった。
「ポトッ。」
 それの表面についた氷が溶けて地面に落ちた。それからまた、それの表面は少しずつ凍り始めた。私はサッとその凍った部分を触った。だがその表面はあまり冷たくなく、触ったところだけ凍った部分が溶けているだけだった。
 数分が経った頃、それは少しずつ溶けてきて、指に溶けた水分がつきそうだった。私は急いでそれを食べようと思い、角から食べ始めた。それを食べていくうちにあまり冷たさを感じなくなった。いつの間にかそれは全て無くなっていて、ただの棒になっていた。




 当塾では作文のネタ作りのために散歩をしては、道中、冷たいものや熱いものを食べてみることがあります。この作文は少し前の真冬に食べたガリガリ君を書いたものです。

 IBUKI君は、あえてガリガリ君の名前もアイスキャンディーだということも伏せて書いてくれました。
 袋を開けると漂う白い冷気や、アイス自体が袋にくっ付いて取りにくいなど、季節感と合わせたガリガリ君の描写がよく書けています。個人的には「棒を持ちながら歩いていると、手に冷たい空気が落ちてきてひんやりした」の部分がとても好きです。視覚だけでなく、指の皮膚の感覚を使った表現は、とても具体的で、読む人の想像力をかきたてるでしょう。
 日頃から、ものや場所の名前に頼らず表現することを求めている僕としては、この作文はちょっと挑戦的であり、実験的でもあり、読んでいて楽しいものでした。
 ただ一つ申しておきますが、僕は何も真冬に冷たいものばかり食べさせているわけではなく(笑)、この時は、肉まんとアイスキャンディーで希望を聞いたところ、生徒の大半がなんとアイスキャンディーを選んだのです。真冬でもアイスキャンディーを楽しめる子ども達の胃袋の健康さが、ちょっぴり頼もしくも、羨ましく思ったのを覚えています。

塾長


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桜の楽しみ

SHINOMI(中3)

 「あはははっ。」
 花見。緑道では毎年のように、お花見をしている人たちが沢山いる。片手にビール。もう片方の手には、団子ではなく、焼き鳥または、チーかま。枝豆をくわえている人もいる。アルコールが回ると帰れなくなってしまう人は、焼き鳥やみたらし団子を食べていた。久しぶりに会う友達。毎日のように顔を合わせている会社の同僚。観光。散歩のついでに花見を楽しむ人。色々な人が同じ場所で色々な話をしていた。時が経つことを忘れて、個人の世界に入り込んでいる人もいた。
 どの人にも共通していることは、笑顔だということだ。皆につられて笑ってしまう人や、なぜ面白いのかわからないが笑っている人。アルコールを飲んで気持ちがウキウキして笑っている人。中には皆に合わせて笑っている人がいるかもしれないが、それでもどことなく楽しそうだった。

 そんな光景を桜は毎年見ている。人間が桜を見て楽しむように、桜も人間を見て楽しんでいるに違いない。人がいなくなると、緑道はしんとなり、桜も少し寂しそうに見える。
 人が楽しい時間を短く感じるように、桜も楽しい時間を短く感じているんだ。きっと今も、緑道で楽しんでいるやつがいるはずだ…。




 花見客が食べている物、飲んでいる物の観察から始まり、次にどんな関係の人々がそこに集まっているのかに触れながら、一見バラバラに見える花見客について、SHINOMIさんは笑顔という共通項を見つけ出します。まずその手法に上手いなと感心しました。ただその反面、誰もが笑顔というのは少々都合が良いのではないかなぁ、と感じつつ読み進めました。すると、つられて笑ってしまう笑顔、理由もわからず笑ってしまう笑顔、周りに合わせて作っている笑顔、アルコールによる笑顔…と単純に心から笑っているわけではない笑顔が次々に挙げられていきます。そして、そのどれもが結局はどことなく楽しそうだとSHINOMIさんは捉えるのです。ここまで読んで、なるほどと腑に落ちました。確かに心からのパーフェクトな笑顔でなくても、皆が楽しい時間を過ごそうと思っているし、結果楽しめているし、そういう状況を作り出す効果が花見にはあるのだと気付きました。人付き合いの悪い僕などは、大勢で行く花見には初めから腰が引けてしまいご遠慮することも多いのですが、一人一人が少しでも笑顔になれて、そういう笑顔が集まればきっとそこは幸せな空間になるのですね。花見というものに対する考え方が、僕よりSHINOMIさんの方がよっぽど大人だし、素敵だなぁと感じました。
 さらにこの作文で良いなぁと思うのは、人間が楽しんでいる様子を、桜もまた楽しんでくれているという考え方です。そう理解してから読むとタイトルもなかなか意味が深いですね。
 人と桜がひと時を共にし、そこに幸せな空間が生まれるというなんとも平和で穏やかな世界。人と自然の共生について、少し前向きな気持ちにしてくれる作文でした。

塾長


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2018年03月30日

僕達のために

KOYO(中2)

「今日が満開の模様です。」
 夜、桜を見ていると、そんなことをニュースで言っていたことがふんわり頭に浮かんだ。
 桜は街灯に照らされ、花びらが透けている。桜の下ではブルーシートを敷いて花見をしていた。人々はビールを片手に仲間達と話すことに夢中になっていた。桜なんか見ずに。しかし桜は人を上からそっと見守っていた。

 枝が切られている桜の木を見つけた。それは、人が除いたのだろう。決して細くはない丈夫な枝は、つぼみを作ることすらも許されなかった。僕達は見られないが、その枝は空へ年輪を見せているだろう。彼が生きてきた時間を。時間は止められない。枝は、過去に振り回されず、後ろを振り向かず、空にまた新しい時間を見せてくれるだろう。そして、白い花びらを産み、その下で僕達が花見をするのを見守り、いつものように、無視されても許してくれるはずだ。



「桜」と「時間」の二つのキーワードを入れて書くという課題に対する作文です。

 まず目についてたのは「ふんわり頭に浮かんだ」の部分。桜のことを書いているのではないのに、どこかテーマである満開の桜の花を連想させる表現で上手い書き出しです。

 やや身勝手に読める人々の姿はKOYO君の大人社会に対するやんわりとした批判精神の表れでしょうか。その後に来る桜に対する表現と実に対照的です。
 不条理な出来事や過去に対して、振り回されず、振り向かず、自分らしく生き生きと過ごし、他者に対しては寛大である桜の姿は、KOYO君の中にある自然や地球に対する畏怖心の表れであると同時に、KOYO君の求める人としての理想像にも読めます。
 正義感が強く、まっすぐであろうとする書き手の気持ちが伝わって来る作文でした。

塾長


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2018年03月25日

時間とは

OTO(中2)

「体の細胞は、常に入れ替わっているんだよ。だから、昨日の自分はもういないとも言える。」
 と先生は言った。さらに
「でも、細胞がリレーをしてくれているから今の自分がいるんだよ。」
 と言った。
 じゃあ、全ての生命体は、みんなでリレーをしてることになるのかなぁなんて思う。
 一つ一つの生き物は、自分の中でリレーをしているし生物全体でもしている。一度に二つのリレーを走るのは不思議で面白い。
 それに、自分のリレーは、自分の命が終わればそれでおしまいだけど、全体のリレーは、地球のある限り続く。自分を中心に考えなければ、生物全体で一つの生き物のようにも見えるし、細胞一つでも生き物のようにも見えるから面白い。
 もし生物全体で一つの生き物ならば、僕も細胞のような存在で四十何億年の十四年でとてもちっぽけに思えた。
 地球という一つの生物の中で僕という一つの細胞が生きているのは頭では分からないほどスケールが大きい。




引き続き、時間をテーマに書いてもらった作文を紹介します。参照「時間について」

僕らは小さな細胞の集合体である一方で、僕ら自身もまた大きな生命を作る細胞の一部である、という考えはとても新鮮でした。小さい細胞が生きられる時間や、人が生きられる時間は長くはないけれど、もっと大きな生命を思う時、僕らの命の時間は半永久的と言っていいほど壮大なものになるのですね。またそれぞれが全体になり、部分になり、同時に二つのリレーをしているという考え方にも感心しました。言い換えれば、生物は皆、二つの時間を生きているとも言えるのですね。
時間について考えるところから始まって、命のあり方にまで想像が広がっていくOTO君の作文を読んでいると、命の源について、色々な考えが浮かんで来ます。今後も自由な想像力を大切にして書き続けて欲しいです。

塾長


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2018年03月14日

時間というものとは

YUYA(小4)

 通りに出て、まっすぐ神社からぬけて、公園に行った。そこにはサクラの木があった。でも、まだつぼみの大きさだった。ぼくは少し考えた。このサクラの木は春、夏、秋、冬、どんな姿をしているのか見てみたいと。
 今日は三月一日、春か冬かのびみょうなところだった。
 つぼみから花、花からかれ木というのは、とても人間の一生と似ている気がする。ぼくは時間がこの世で一番なぞなものな気がする。なぜなら、今年の春と来年の春は全く別物なのにどちらも春という。時間とはとても不思議なものだと思った。
 時間がたつと年もとるし、地球だって動く。とても時間は深いもので不思議なものに感じた。



引き続きテーマは時間についてです。参照「時間について」

小学4年生に、「あなたにとって時間とは?」と問う課題は難しすぎるかなぁと思ったのですが、YUYA君は自分なりに考え、作文を書いてくれました。そもそも正解などない中で、自分の想像や考えを文章にするのは大変だったと思いますが、よく頑張ってくれました。特に「今年の春と来年の春は全く別物なのにどちらも春という。」という部分は、なかなか唸らされる深い気づきだと思います。小学4年生、おそるべしですね。

塾長

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2018年03月10日

時間について その二

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時間は目に見えません
あえて目に見えるものにたとえるなら
もっとも近いイメージは水の流れでしょうか

川の流れ、時の流れ
似ている言い回しもあります

水が流れれば、川となり、物資を運んだり、海に辿り着いたりすることができます
時間の中では、自分が動いていれば、それは結果にたどり着くことができます
時間は活動を進めてくれるのです

具体的に言えば、
移動中なら進むことができるし、目的地があればそこに着くことができます
酒などの仕込みのように一見動いていないもので、目には見えないくらい小さい世界の中で菌が育っていたり、熟成が進んだりします
何かしらの行動を試みれば時は味方になリます

「立ち止まることも大切」という言葉も聞きますが
その場合も、単に立ち止まっているのではなく、頭の中では猛スピードで反省や作戦の練り直しが進行している気がするのです

逆に
水が滞れば、腐り、汚れはたまり、嫌な匂いを発するかもしれません
時間についてはどうかといえば、同じ場所に留まってただ時間を過ごせば、老いたり、腐ったり、朽ち果てたり…

僕の中の時間に対するイメージがそんなだからか
僕はじっとしていると落ち着かないし
あまり、まったりと時間を浪費することができません
活動的にしていれば、結果が出なくてもどこか満足している風なところさえあります

かといって時流に乗りたいというわけではないのです
速すぎる流れは好まないし
できればゆっくりと流れる時間の中で
滞らず、濁らず、進めたら、多分一番心地よいのです

でもこれらはあくまで僕の感覚

もっと心に余裕を持って過ごせる大人にそろそろなりたいとも思います
一杯のコーヒーを味わいながら頭を空っぽにする
なんかすごく憧れる時間の使い方ですね

さて
こんなことを考えている間にも時間は流れています
この時間、僕はどこかに進んでいたのでしょうか
それとも朽ち果てるための時を過ごしたのでしょうか

僕一人では時間は手ごわすぎるので
引き続き子どもたちの作文を紹介していこうと思います

塾長


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2018年03月08日

時間は敵か味方か?

ANNA.N(小6)

 「時間」とは何か。辞書で調べると、答えは簡単に見つかるだろう。しかし、「命」や「愛」のように、人によって大切なものが違うように、人によって「時間」という言葉に感じる意味も違うと思う。

 私にとっての「時間」は、この世界の元だと思う。今こうしている時にも、どこかで誰かが生まれ、誰かが死んでいっている。普段、私達はそんな事は考えもしていないが、実際に起こっている事なのだ。しかし、だからと言って、私達がどうこうもできない。それが「時間」なのだと思う。

 そして、時々感じるのが、「時間は怖い」という事だ。ちょっとした選択でも、時間がたてば、大事になる事だってある。私達から見て、味方にも敵にもなるのが「時間」だ。
 そんな時間を、私達は間違えないよう、慎重に使っていかなければならない。とは言え「未来でこう後悔する」など分からないので、ある意味、私達は毎日、運試しのような形で生きているのかもしれない。

 私が今、学校で問われているのは、「卒業までの時間をどう使うか」だ。後に後悔しないよう、自分から行動していく事が、これからは大切になってくると思う。卒業まで残り二週間、残された「時間」を後悔しないように、1日1日を大切にしていきたい。



引き続きテーマは時間についてです。参照「時間について」

読んでいて面白いなあと思ったのは、ANNAさんの中で時間に対する考え方の軸が二つ存在しているように感じた事です。
まず時間は世界の元であって私達にはどうにもできないものだという考えが見えます。その一方で時間は慎重に扱いながら、後悔のないように私達が使うべきものとも書いています。時間を圧倒的で手の届かない存在と考える一方で、使うものという考えも同居しているのは実に正直な感覚なのでしょう。それは矛盾というよりも、時間という存在の難しさ、掴み所のなさを素直に受け止めていることからくる時間の二面性ではないでしょうか。同じような捉え方は、「時間は味方にも敵にもなる」という考え方にも見られます。
ANNAさんはそろそろ、物事には白にも黒にもなるものがあると知り始めているのかもしれません。今回はテスト用の作文ではなく、時間とは何かを考えてもらう事が大切だったので、無理に相反することを作文の中で整理することなく、そのままの形で残しておきました。ANNAさんが使い始めた物事の二面性に気づく目には、これからの世界がどのように映るのか実に楽しみです。
最後に今回の作文で、僕が個人的に格好いいなぁと思う表現があったのでそれを紹介します。それは「私達は毎日、運試しのような形で生きているのかもしれない」という部分です。これからの複雑な世の中を力強く、潔くサバイバルしていけそうなイメージを受けました。

塾長


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自分にとっての時間

RISA(小6)

 私にとって時間とは、自分の心の表れである。自分が退屈だと思う時には、時間はゆっくり過ぎるが、楽しい時は、時間は早く過ぎる。
 学校の授業が退屈な時は、よく時計を見る。
「一、二、三、四…」
 心の中で六十まで数える。
「五十九、六十!」
 時計を見る。しかし、三十秒くらいしか過ぎていない。
「おかしい、あの時はこわれている。」
 いつもそう思ってしまう。

 友達と話している時や、遊んでいる時は、時間を忘れてしまう。小学一年生の頃は、時間のことを忘れてしまうことが多々あった。
「五時の鐘がなったら家に帰ってきてね。」
 母に何度も念を押されて、公園に行った。しかし、五時の鐘が鳴ったことにも気づかず、結局七時まで遊んでしまった。

 成長するにつれて、時間を守るようになっていった。これは、成長につれて、心も成長しているからだ。
 だから、私は、時間とは心の表れであると思う。



時間とは心の表れですか。なるほど、そうかもしれませんね。
自分の心の状態によって、時間の流れが速くなったり遅くなったりするというのは多くの人が持っている感覚ですね。
RISAさんは、これらの考えを述べるために、実際の経験を交えて書いてくれたので、作文の書き方としても分かりやすいものになりました。
この作文を読みながら、幼い頃にあくびを噛み殺しながら教室の時計を何度も見ていたことを思い出しました。
あの時の一分と、今こうして作文を読んでいる一分では、まるで違う長さに感じます。つくづく時間というのは不思議なものですね。

塾長


posted by 塾長 at 00:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 作文紹介

時間について

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photo by kazuhiro ueda

時間ってなんでしょう。
同じ場所に
同じ人
同じもの、が揃ったとしても、
例えば今と1年後では、色々なものが同じというわけにはいきません。

人間関係も、年齢も、部屋の壁のシミ一つとってみても以前とは違うでしょう。
時間の経過は多くのものを変えてしまうのです。

でも時間が全てマイナスに働くかと言えばそうではありません。
成長、浄化、痛みを忘れる、和解…
多くの場面で時間は僕らの味方です。

一方で時間の経過により、
全ての生命は滅び、僕らもまた死を迎えます。

また、
時間を止められたら、とか
時間を巻き戻せたら、とか
考えたことがある人は多いと思います。

時間について考え始めると、僕は宇宙の果てがどうなっているのか?について考えている時と同じくらい答えが見つからなくなります。
では子どもたちは、時間についてどんな考えを持っているのでしょう。

最近、UEDA塾のいくつかのクラスで時間について考えて書いてもらいました。
日頃は物語文形式で具体的な出来事について書くことが多いのですが、
年度末ということで、ちょっと力試しの意味も込めて
「あなたにとって時間とは?」というやや難題と思われる問いについて書いてもらったのです。
そのうちの幾つかを当ブログで紹介します。
実は一つ前の作文もそのうちの一つです。

初めにこの課題を発表した際には、子ども達は皆、無理!分からない!という顔をしていましたが、
しばらくするうちにそれぞれの答えを見つけたようで、思いの外、楽しそうに書いてくれていたのが印象的でした。
たまには難しい課題も良いものですね。

しばらく時間に関する子ども達の作文が続きます。お付き合いいただければ幸いです。

塾長

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2018年03月03日

今を生きるということ

MANA(小6)

 時間とは何か。最初に思いついたのは、生命の誕生と死だ。どこかで
「オギャーー。」
 と産声が上がったら、どこかで誰かが倒れ、息をひきとる。人生とは、時間とは、そのようなものだ。
 私は前、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩を読んだことがある。この詩では、今、この時間(とき)の流れを、日常でありうることで表している。その中でも私は、第四連の文が心に残った。

「生きているということ
 いま生きているということ
 いまどこかで犬がほえるということ
 いま地球がまわっているということ
 いまどこかで産声があがるということ
 いまどこかで兵士が傷つくということ
 いまブランコがゆれているということ
 いまいまが過ぎていくということ」

 この連はまさに時間を表していると思った。今、この瞬間、何かがどこかで誕生し、何かがどこかでなくなっているのかもしれない。そう考えると、今、この瞬間を生きていられる私は、とても幸せだと思った。
 今、この瞬間を大切にするのは、とても大事なことだ。そして、悔いのないよう1日1日を過ごすということも、いつ来るか分からない別れのためにも、必要なのではないか。



あなたにとって時間とはどういうものですか?という課題に対する作文です。

MANAさんは谷川俊太郎さんの詩の一部を覚えていて、今回の作文に引用しました。谷川さんの詩を暗唱しているというだけで感心してしまったのですが、引用して満足するのでなく、その後に自分の考えをきちんと書いてくれたことはさらに良かったと思います。MANAさんの作文を読んでいて、瞬間の積み重ねが時間となり、さらには人生となるので、どの瞬間も大切に生きなくてはいけないと教えられたように感じました。小学校卒業を目前に控えたMANAさんが、時間の大切さを実感している様子が伝わって来る作文でした。

塾長
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プロフィール
名前:塾長
自由が丘で作文教室を運営。
小学生から高校生まで広い年齢層の子供たちとともに、書かされるのではなく、書きたくなる作文を目指して活動中。