2018年04月05日

春雪(はるゆき)

MIYU(中2)

 キラキラと目に眩しい街の喧騒を拭い払うようにしてスニーカーの靴先で石畳を数秒前よりもテンポよく蹴り飛ばす。
 遊び盛りな夜風が解かれた髪にじゃれつくのを指先でたしなめる。
 カラリと乾いた喉が必死に水を要求するのに気がつかないふりをしていた。
 ハラハラと降る淡い春の雪。人気(ひとけ)のない路地裏の小さい公園の真ん中で、それは根を張り、幹を伸ばし、枝を天高く掲げていた。
 木の皮は所々ささくれて、おじいさんの手のように、厳しさと優しさを伝えてくる。
 いたずら好きな夜風は飽きてきたのかブランコにちょっかいをかけては面倒臭そうにあしらわれている。
 人間(ひと)の時間、物の時間、町の時間、桜(はな)の時間。全ては有限で、悠久の時なんてなくて。
「儚いなぁ。」
 なんて一人心地に呟いてみる。少し桜を見過ぎたのかもしれない。
 心配そうな春風がそっと覗き込んでくる。
「ん。大丈夫。帰ろうか。」
 桜が散る前にもう一度ここに来よう。時はもう少し残っている。

※学年は作文を書いた時点のものを記載しています。




 MIYUさんにかかると、風も桜の木もブランコも、周りにあるあらゆるものに生命や心が宿っているかのように感じられます。実際にMIYUさんはそういう世界にいるのかなぁなんて感じることもしばしばです。この人は僕の見えない世界が見えている、なんて真剣に感じてしまうのです。そして、その世界に向けられるMIYUさんの目線は繊細で優しく、すっかり涙もろくなった年齢の大人が読むと、うっかりホロリとさせられそうです。
 例えば「木の皮は所々ささくれて、おじいさんの手のように、厳しさと優しさを伝えてくる。」の比喩一つとってもMIYUさんの人に対する優しくて深い捉え方が感じられます。『しわくちゃなおじいさんの手のようだ』と書くなら、よく見かける比喩ですが、そこに厳しさと優しさを持つ存在というおじいさんに対する彼女自身の見方が加えられているので、それなりの年齢を重ねた僕としては、なんだかとっても穏やかな気持ちで読めるのです。もちろん優しさばかりが書かれていれば、興ざめすることもあるのですが、いたずらな風がいたり、時間に限りがある儚さに触れられていたり、MIYUさんに見えている世界も甘いばかりではありません。そこは僕が知っている世界と同様に永遠ではなく、現実的な辛さもちゃんと含んでいるのです。
 ところで僕がもっともドキっとしたのは最後の「桜が散る前にもう一度ここに来よう。時はもう少し残っている。」という部分です。僕は自分に残された時間の大切さに思いを馳せました。でも冷静になると、中学生の女子が書いた作文を読んでこんなことを感じさせられるなんて、やっぱりMIYUさんは僕と違う世界で違う時間の中を進んでいるのかなぁ、などとまた考えてしまうのです。

塾長


posted by 塾長 at 15:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 作文紹介
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/182895083
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
プロフィール
名前:塾長
自由が丘で作文教室を運営。
小学生から高校生まで広い年齢層の子供たちとともに、書かされるのではなく、書きたくなる作文を目指して活動中。