2018年09月21日

川遊び

KOKORO(小6)

 「あっカエル。」
 そのカエルは、茶色で六センチメートルくらいだ。ピョンッ。カエルはすぐに青々としたしげみの中にかくれてしまった。しげみはひざくらいまであり、蚊もたくさんいた。
「やめよ。」
 と言って私はしげみに入るのをやめた。その時に二センチメートルくらいのカエルが二匹出てきた。また、茶色だ。私は、ゆっくり近づいて行った。カエルの後ろまで行くと、親指と中指でつまんだ。そして頭を人差し指で抑えて飛びはねないようにしながら取った。もう一匹も同じように取った。捕まえた二匹ともかごの中に入れた。
 妹たちも魚を捕まえたらしく、私の方まで来て、見せてくれた。
「ふうん、小さいね。」
 と言うと、
「でも、すごいでしょ。」
 と言ってきた。妹が取れるのも当たり前。あみを持っていたから。適当にやっていても捕まえられる。
「あ〜そうですね。すごいですね。」
 私はうんざりしたので適当に返すと、
「ここは、何捕まえたのよ。」
 とムッとした口調で言われた。
「カエルだけ。もっと捕まえたいんだからあっち行ってて。」
 と言っても、なかなか動く様子がない。一回上がることにした。その時。ピョンピョン。見てみると、カエルがたくさんいた。湿っているところが好きなカエルたちは、木の下にたくさんいる。五、六匹捕まえた。その中にあの六センチメートルのカエルもいた。
 「ここ〜ちょっと来て。」
 と私を呼ぶ父の声がした。
「は〜い。なあに。」
 と言うと、
「上流の方行くって。」
 母が言った。でも声が聞こえてくる方は、私がいるところより下流だ。
「早く〜。」
 弟の声だ。
「はいよ。今行く。」
 川に入り、声のする方へ行った。もう一つ分かれ道があり、私はゴツゴツした岩がたくさんある方へ行こうとしていた。
「え〜そんなとこ行くの。けがしそう。」
 予想通りけがをした。それは私だ。くつが流されそうになり、取ろうととしたら突き指。川の水で冷やしていられたのであまり痛くなかったけれど。

 「そろそろ帰るよ。」
 母がのんびりした口調で言ってきた。
「カエル逃してなかった。」
 と言って私は虫かごを開けた。カエルを逃がすと妹がそのカエルを捕まえて、水に落とした。私は大きいやつを地面に置いた。ピョンピョンとカエルは元気にとびはねて行った。




 夏休みの出来とごとについて書いてもらいました。

 家族で過ごす休日の作文というと、ややもするとただ楽しいばかりの作文になりがちです。でも、この作文の中で印象的なのは、姉妹のちょっとしたライバル心や、少六の女の子だからこその少しピリピリした空気感でした。姉妹二人の会話はどこの兄弟や姉妹にもありそうなもので、二人の関係性が上手に描かれていてリアルです。その一方でカエルを見つけた場所やその捕まえ方など、実際に経験したからこそかける情報が多く、自然に対する生き生きとした描写が多く見られました。逃したカエルが最後にピョンピョンと元気に去って行く描写からは、自然に対する筆者の愛情も感じられます。
 ところで本人に聞くと、姉妹の関係性にしても自然に対する考え方にしても、そこまで狙って書いてはいるわけではないとのこと。でも無意識だとしても、これらを入れられたことにはセンスの良さを感じました。
 KOKOROさんは書き始めて5ヶ月ほど。まだあまり多くを求めるのは酷な時期ですが、この作文は、今のKOKOROさんらしさが滲み出ていて、素敵な一編になりました。

塾長
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2018年06月28日

くやしいな〜でも気にしない

SUMIRE(小5)

 五月二日から五月五日まで私と親友三人とその家族で九十九里へキャンプに行った。
 私は五月三日にちょっとくやしい思い出ができた。それは、つりの話だ。
 私の弟の趣味はつり。弟の将来の夢は、マグロをつる人だ。そんな弟がキャンプで
「ぜったいつりやるからね。」
 と言ったので、行くことになった。私は弟と違ってつりがあまり好きじゃないけど、やらないよりはやった方がまだいいのでやった。
 やったら、弟がなんとイナダをつった。イナダとは、ブリの子供だ。それで弟は飛び回っている。私はそれが頭にきて、くちびるをかみしめた。そして私もとってやろうと思ってやったら、タイがつれた。
「なんだ〜。」
 このつり場は、タイがほとんどで、イナダはあまりつれない。私がつったタイは引きが良かったのに…。
 イナダはレア物だ。イナダをつった時、係のおじさんが
「レア物がつれたね。」
 とか言っていた。私の親友までが興奮していた。だから私もがんばる。と、力を入れて池の中にさおを入れたら、魚は来なかった。
 それが何十分かがたち、さおを上げると、小さなエビがふにゃふにゃになっている。私の肩がストッと落ちた。気合がぬけた。でも気を取り直してまたやることにした。
 そしてエビを変えた。三分たった。その間ずっとボケーとしていたら、いきなりグイッと引かれてさおがつり場の中に入っていきそうだった。だから、さっきの気合を取りもどせた。そして魚のかげが見えた。つれたのはタイ。タイの所に、もみたいな物が付いていた。
「ちょっと重かったのは、ものせいか〜、ついてないな〜。」
 そう私がつぶやいた時、私と反対側の人がイナダをつった。そのうちに勢いよく何人かがイナダをつり、もうダメだ〜と思った。
 つりが終わり、つかれすぎたのでキャンピングカーに親友一人と一緒にもどった。弟と他の親友二人はまだつりをしている。でも私と親友一人はキャンピングカーでずっと「ミニオンズ月どろぼう」と言うDVDを見ていた。そのDVDはミニオンの一番最初に出たやつだった。
 しばらくして、全員つりが終わったらしく帰って来て、他の親友が
「すごく沢山つれたよ。」
 と言った。私は二匹しかつれなかったけど、別に私はつりが好きじゃないからいいか。私は、友達と一緒にDVDの続きを見た。
 その日の夜、タイ飯とイナダは最高だった。




 気持ちの表し方について意識しながら書いてもらった作文です。

「私はそれが頭にきて、くちびるをかみしめた。」や「私の肩がストッと落ちた。」など、その時の仕草を描くことで気持ちの表現を上手にしてくれています。また何十分も思うように釣れない時に書かれた「さおを上げると、小さなエビがふにゃふにゃになっている。」と言う表現は秀逸でした。気合い十分で挑んだものの、結果が出ずに気持ちが萎えていく中で、エサのエビを見るとふにゃふにゃになっていると言う、なんとも気持ちに合った情景描写で、これを狙って書いているとしたら末恐ろしい小学5年生ですね。
 全体的には、弟に対する対抗心を持ちながらも、撤退を決めてから悔しさは出さないと言う微妙なお姉さんの心境が隠さず書かれているのにも好感を持ちました。最後の「その日の夜、タイ飯とイナダは最高だった。」の一文は、本当に気にしていないようにも、負け惜しみのようにも、色々と受け取れる終わり方で興味深いです。
 少5の女の子の複雑な気持ちが感じられる作文で印象に残る作品でした。

塾長


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2018年06月22日

五時間かけた甲斐あり!!

AOI(小6)

 「はぁ、まだかな〜」
 妹がため息をつきながら言う。それもそうだ。なぜなら朝七時に家を出て、もう5時間もたっているからだ。妹とそんなことを話している。今日は、お母さんの希望で静岡にあるハート型のがけを見に行く。
「一キロ先目的地周辺です。」
 このナビの音が流れた瞬間、妹が、あとちょっとコールを始めた。
「あと、ちょっと、あとちょっと。」
 ノリに乗って、あとちょっとコールを始めた妹とふざけて踊りも入れて遊んでいると、お母さんが、
「着いたよ。」
 と言った。車も、もう駐車場に止まっていたので早速外に出た。

 少し歩くと案内板があった。すぐ右の場所に階段があった。妹が真っ先に階段へ行った。すると妹が
「ここ立ち入り禁止になってるよ。」
 そんなバカな。そう思いながら行ってみると、立ち入り禁止と書いてある札が階段の前に置いてあった。それに気付いたお母さんがスマホで調べてみると、この地域だけに発行されている新聞があり、それには「崩落事故で閉鎖」と言う見出しがあった。それを見たお母さんと妹は口をそろえて、
「五時間もかけて来たのに〜。」
 と言った。僕は、来る気は無かったけれど、五時間もかけて来たんだから、一瞬でも神秘的なものを見られたらいいなと思っていたので、事故で見られないなんて不運すぎるなと思った。
 お母さんと妹が肩を落としていると、お父さんが、
「ちょっと楽しそうなところがあるみたいだよ。」
 となぜか自慢げに言った。
 
 虫しかいなかった。妹は少し怖がりながら歩いていた。道なりに十五分くらい歩くと、でかい砂山とすき通った海があった。
 砂山のふもとには「滑れます。」と書いてあり、看板があったのでソリを持ってくることにした。砂山はとても高くて頂上に登るまで五分くらいかかった。おまけに砂山は太陽に当たっていて、とても熱かった。ソリも持っていたので登りも熱さも倍増した。
 頂上についた。高すぎて足がふるえた。
 いざ滑ろうとすると、お父さんが砂山のふもとの方から
「ちゃんとひも持つんだぞ〜。」
 僕は返事を返すと砂山をすぐに滑りおり始めた。一回目はどんな感じか分からなかったので、お父さんの言う通りひもを持って滑ることにした。気持ちも落ち着いたのでレッツゴー。すごく怖かったのか、だんだん前のめりになっていて、砂山の中間地点で転んでしまった。二回目は、一回目のこともふまえ、ひもを持ちながら後ろに反って無心で滑ることにした。もう一回気持ちを落ち着かせてレッツゴー。勢いがつき始めたぐらいの時、風の音が聞こえた。久しぶりに聞いたのでとても気持ちよかった。最後の方は怖さは無くなって楽しくなっていた。十回程やると、お母さんが、
「そろそろ帰ろうっか。」
 と言って来た。僕は、
「あと一回お願い。」
 と言ってラスト一回を滑った。最後のは無心で滑った。滑り終わると、妹と一緒に
「楽しかった。」
 と言い合いながら車に向かった。少し驚いたこともあったけど、楽しい一日だった。

 車に戻ると妹はすぐにいすを倒して寝る体勢に入っていた。僕も、疲れたので、音楽を流しながら寝ることにした。その後は寝てしまい。ものすごく高い山に登って滑り下りたという夢を見た。僕と妹はいつまでもずっと滑り続けていた。




家族での日帰り旅行の様子を、気持ちの表現を意識しながら書いてくれました。
「肩を落とす」、「足がふるえる」など感情に合わせた仕草の描写を上手に使ったり、「はぁ、まだかな〜」、「ちゃんとひも持つんだぞ〜。」のように、妹さんの待ちきれない気持ちやお父さんが子ども達の安全を思う気持ちをセリフを使って表現したり、工夫が多く見られて好感が持てます。個人的には砂山滑りの二回目の部分で『勢いがつき始めたぐらいの時、風の音が聞こえた。』の部分が格好良いなぁと思います。一度目には気づけなかったことに、少し余裕のできた二度目には気づけているという、主人公の小さな気持ちの変化が書かれているのがすごく良いです。またこの日の楽しさが強く伝わってくる『僕と妹はいつまでもずっと滑り続けていた。』という夢の内容で終わったのも素敵でした。素晴らしい!

塾長


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2018年05月18日

「夏」

RISA(中1)

 「タンッタンッタンッ…」
 階段を下り終わると、空の色が水色からオレンジ色に変わっているのに気がついた。
 歩いていると、何度か風が吹いてきた。ついこの間まで、寒いと感じていた風だが、今は少し涼しく快適だと感じている。
「ザワザワザワッ…」
 風が吹くことで、木の葉がざわつき、夏によく聞く音が私に耳に届く。

 途中でセブンイレブンに寄り、アイスを買ってもらった。私は、「チョコモナカジャンボ」というアイスにした。店を出るとすぐに袋を開け、食べることにした。

 「サクッ、パリッ。」
 モナカの皮と、チョコの音が聞こえたと同時に、口の中にバニラとチョコの甘さが広がる。冬や春には冷たいと感じていたアイスが、ちょうど良い冷たさになっている。

 アイスを食べながら歩いていると、夏の匂いがした。
「もうすぐ夏が来る。」
 心の中で私はそう思った。 




 4月末に塾の近所を散歩してから書いてもらった作文です。

 中学受験を終え、目標を達成したばかりのRISAさんの心境が、季節に対する表現の形を借りて、実に素直に出ているように感じました。
 カラフルな色が生まれ、寒さは快適さに、さらには夏への期待感が生まれ…。それらの変化から伝わって来る主人公の喜びと希望に満ちた空気が、読んでいてとても心地良く、僕の中にも染み込んできました。日頃は忘れている、何かが始まる時のときめきを、この作文は思い出させてくれたように思います。
 これからの中学校生活に向けて、RISAさんには、今感じているワクワクやドキドキ感を忘れずに、思いっきり走り出して欲しい、と強く感じました。

塾長



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2018年04月05日

春雪(はるゆき)

MIYU(中2)

 キラキラと目に眩しい街の喧騒を拭い払うようにしてスニーカーの靴先で石畳を数秒前よりもテンポよく蹴り飛ばす。
 遊び盛りな夜風が解かれた髪にじゃれつくのを指先でたしなめる。
 カラリと乾いた喉が必死に水を要求するのに気がつかないふりをしていた。
 ハラハラと降る淡い春の雪。人気(ひとけ)のない路地裏の小さい公園の真ん中で、それは根を張り、幹を伸ばし、枝を天高く掲げていた。
 木の皮は所々ささくれて、おじいさんの手のように、厳しさと優しさを伝えてくる。
 いたずら好きな夜風は飽きてきたのかブランコにちょっかいをかけては面倒臭そうにあしらわれている。
 人間(ひと)の時間、物の時間、町の時間、桜(はな)の時間。全ては有限で、悠久の時なんてなくて。
「儚いなぁ。」
 なんて一人心地に呟いてみる。少し桜を見過ぎたのかもしれない。
 心配そうな春風がそっと覗き込んでくる。
「ん。大丈夫。帰ろうか。」
 桜が散る前にもう一度ここに来よう。時はもう少し残っている。

※学年は作文を書いた時点のものを記載しています。




 MIYUさんにかかると、風も桜の木もブランコも、周りにあるあらゆるものに生命や心が宿っているかのように感じられます。実際にMIYUさんはそういう世界にいるのかなぁなんて感じることもしばしばです。この人は僕の見えない世界が見えている、なんて真剣に感じてしまうのです。そして、その世界に向けられるMIYUさんの目線は繊細で優しく、すっかり涙もろくなった年齢の大人が読むと、うっかりホロリとさせられそうです。
 例えば「木の皮は所々ささくれて、おじいさんの手のように、厳しさと優しさを伝えてくる。」の比喩一つとってもMIYUさんの人に対する優しくて深い捉え方が感じられます。『しわくちゃなおじいさんの手のようだ』と書くなら、よく見かける比喩ですが、そこに厳しさと優しさを持つ存在というおじいさんに対する彼女自身の見方が加えられているので、それなりの年齢を重ねた僕としては、なんだかとっても穏やかな気持ちで読めるのです。もちろん優しさばかりが書かれていれば、興ざめすることもあるのですが、いたずらな風がいたり、時間に限りがある儚さに触れられていたり、MIYUさんに見えている世界も甘いばかりではありません。そこは僕が知っている世界と同様に永遠ではなく、現実的な辛さもちゃんと含んでいるのです。
 ところで僕がもっともドキっとしたのは最後の「桜が散る前にもう一度ここに来よう。時はもう少し残っている。」という部分です。僕は自分に残された時間の大切さに思いを馳せました。でも冷静になると、中学生の女子が書いた作文を読んでこんなことを感じさせられるなんて、やっぱりMIYUさんは僕と違う世界で違う時間の中を進んでいるのかなぁ、などとまた考えてしまうのです。

塾長


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2018年04月04日

桜を見て思ったこと

KOTARO.I(高1)

   桜を見ていると、別れを告げた友達のことを思い出す。昔は当たり前のように学校で会ってたのに、今は、長期の休みに仲の良い友達と会うくらいだ。そう考えると、僕は時間が過ぎたのだなと実感する。
 時間とは不思議だなと僕は思う。なぜなら時間は、当たり前のようにずっと進んでいるからだ。そして、もう一つ不思議なことがある。それは、楽しくて、好きなことをして過ごす一時間と、全くすることがなくて、ずっとぼーっとしている一時間では感じ方が違うということだ。
 事実上は、同じ一時間ではあるが、前者の一時間はあっという間に感じるが、後者の一時間は、気が遠くなるほど長く感じる。
 今僕の目の前にあるきれいな桜も、時が過ぎれば、花びらが全て散り、それからさらに時間が経てば、また当たり前のように花を咲かせる。その繰り返しなんだなと僕は思う。
 僕は時間が停止した瞬間に直面したことが無い。アニメや漫画ではしょっちゅう時間を止めたりしているが、実際に時間が止まったらどんな感じなのか全く想像がつかない。そして、時間は、いつからどのようにして始まったかも全く想像がつかない。僕は、時間はビッグバンが起きて、宇宙が誕生して、色々なことが起きて、地球が生まれて、僕が生まれるよりもずっと前の、全く何も無い完全な無の世界からあるのではないかと、桜を見ていて思った。

※学年は作文を書いた時点のものを記載しています。




 毎年春になるとほんのひと時だけ咲き誇る桜。そんな桜を見ながら、KOTARO君は時間に関する壮大な考察をしていたのですね。
 時間は決して止まらず、ただ前に進んでいること。それでいて時間の流れ方が気持ちによって異なって感じられること。また時間の中には桜の活動のように繰り返しがあることなどなど。
中でも僕が最も惹かれたのは「時間は、いつからどのようにして始まったかも全く想像がつかない。」の部分です。確かに時間の始まりってどこなのでしょうか。宇宙の果てについて考えた時と同じくらい想像もつかない問いかけに、自分がこの世で生きる時間の短さを思い知り、自分の存在の小ささを思わずにはいられません。

 今回の桜を見る散歩の中で、ただ美しいと思うだけでなく、そこから様々なことに想像を広げていく見方をしてくれたのは、とても嬉しいことでした。

塾長


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2018年03月31日

It〜 イット

IBUKI(中3)

  袋を開けると白い冷気が出てきた。袋から取り出そうとすると袋にくっ付いて素早く取り出すことができなかった。棒を持ちながら歩いていると、手に冷たい空気が落ちてきてひんやりした。それは妙に冷たく口に入れると頭が痛くなりそうだった。
「ポトッ。」
 それの表面についた氷が溶けて地面に落ちた。それからまた、それの表面は少しずつ凍り始めた。私はサッとその凍った部分を触った。だがその表面はあまり冷たくなく、触ったところだけ凍った部分が溶けているだけだった。
 数分が経った頃、それは少しずつ溶けてきて、指に溶けた水分がつきそうだった。私は急いでそれを食べようと思い、角から食べ始めた。それを食べていくうちにあまり冷たさを感じなくなった。いつの間にかそれは全て無くなっていて、ただの棒になっていた。




 当塾では作文のネタ作りのために散歩をしては、道中、冷たいものや熱いものを食べてみることがあります。この作文は少し前の真冬に食べたガリガリ君を書いたものです。

 IBUKI君は、あえてガリガリ君の名前もアイスキャンディーだということも伏せて書いてくれました。
 袋を開けると漂う白い冷気や、アイス自体が袋にくっ付いて取りにくいなど、季節感と合わせたガリガリ君の描写がよく書けています。個人的には「棒を持ちながら歩いていると、手に冷たい空気が落ちてきてひんやりした」の部分がとても好きです。視覚だけでなく、指の皮膚の感覚を使った表現は、とても具体的で、読む人の想像力をかきたてるでしょう。
 日頃から、ものや場所の名前に頼らず表現することを求めている僕としては、この作文はちょっと挑戦的であり、実験的でもあり、読んでいて楽しいものでした。
 ただ一つ申しておきますが、僕は何も真冬に冷たいものばかり食べさせているわけではなく(笑)、この時は、肉まんとアイスキャンディーで希望を聞いたところ、生徒の大半がなんとアイスキャンディーを選んだのです。真冬でもアイスキャンディーを楽しめる子ども達の胃袋の健康さが、ちょっぴり頼もしくも、羨ましく思ったのを覚えています。

塾長


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桜の楽しみ

SHINOMI(中3)

 「あはははっ。」
 花見。緑道では毎年のように、お花見をしている人たちが沢山いる。片手にビール。もう片方の手には、団子ではなく、焼き鳥または、チーかま。枝豆をくわえている人もいる。アルコールが回ると帰れなくなってしまう人は、焼き鳥やみたらし団子を食べていた。久しぶりに会う友達。毎日のように顔を合わせている会社の同僚。観光。散歩のついでに花見を楽しむ人。色々な人が同じ場所で色々な話をしていた。時が経つことを忘れて、個人の世界に入り込んでいる人もいた。
 どの人にも共通していることは、笑顔だということだ。皆につられて笑ってしまう人や、なぜ面白いのかわからないが笑っている人。アルコールを飲んで気持ちがウキウキして笑っている人。中には皆に合わせて笑っている人がいるかもしれないが、それでもどことなく楽しそうだった。

 そんな光景を桜は毎年見ている。人間が桜を見て楽しむように、桜も人間を見て楽しんでいるに違いない。人がいなくなると、緑道はしんとなり、桜も少し寂しそうに見える。
 人が楽しい時間を短く感じるように、桜も楽しい時間を短く感じているんだ。きっと今も、緑道で楽しんでいるやつがいるはずだ…。




 花見客が食べている物、飲んでいる物の観察から始まり、次にどんな関係の人々がそこに集まっているのかに触れながら、一見バラバラに見える花見客について、SHINOMIさんは笑顔という共通項を見つけ出します。まずその手法に上手いなと感心しました。ただその反面、誰もが笑顔というのは少々都合が良いのではないかなぁ、と感じつつ読み進めました。すると、つられて笑ってしまう笑顔、理由もわからず笑ってしまう笑顔、周りに合わせて作っている笑顔、アルコールによる笑顔…と単純に心から笑っているわけではない笑顔が次々に挙げられていきます。そして、そのどれもが結局はどことなく楽しそうだとSHINOMIさんは捉えるのです。ここまで読んで、なるほどと腑に落ちました。確かに心からのパーフェクトな笑顔でなくても、皆が楽しい時間を過ごそうと思っているし、結果楽しめているし、そういう状況を作り出す効果が花見にはあるのだと気付きました。人付き合いの悪い僕などは、大勢で行く花見には初めから腰が引けてしまいご遠慮することも多いのですが、一人一人が少しでも笑顔になれて、そういう笑顔が集まればきっとそこは幸せな空間になるのですね。花見というものに対する考え方が、僕よりSHINOMIさんの方がよっぽど大人だし、素敵だなぁと感じました。
 さらにこの作文で良いなぁと思うのは、人間が楽しんでいる様子を、桜もまた楽しんでくれているという考え方です。そう理解してから読むとタイトルもなかなか意味が深いですね。
 人と桜がひと時を共にし、そこに幸せな空間が生まれるというなんとも平和で穏やかな世界。人と自然の共生について、少し前向きな気持ちにしてくれる作文でした。

塾長


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2018年03月30日

僕達のために

KOYO(中2)

「今日が満開の模様です。」
 夜、桜を見ていると、そんなことをニュースで言っていたことがふんわり頭に浮かんだ。
 桜は街灯に照らされ、花びらが透けている。桜の下ではブルーシートを敷いて花見をしていた。人々はビールを片手に仲間達と話すことに夢中になっていた。桜なんか見ずに。しかし桜は人を上からそっと見守っていた。

 枝が切られている桜の木を見つけた。それは、人が除いたのだろう。決して細くはない丈夫な枝は、つぼみを作ることすらも許されなかった。僕達は見られないが、その枝は空へ年輪を見せているだろう。彼が生きてきた時間を。時間は止められない。枝は、過去に振り回されず、後ろを振り向かず、空にまた新しい時間を見せてくれるだろう。そして、白い花びらを産み、その下で僕達が花見をするのを見守り、いつものように、無視されても許してくれるはずだ。



「桜」と「時間」の二つのキーワードを入れて書くという課題に対する作文です。

 まず目についてたのは「ふんわり頭に浮かんだ」の部分。桜のことを書いているのではないのに、どこかテーマである満開の桜の花を連想させる表現で上手い書き出しです。

 やや身勝手に読める人々の姿はKOYO君の大人社会に対するやんわりとした批判精神の表れでしょうか。その後に来る桜に対する表現と実に対照的です。
 不条理な出来事や過去に対して、振り回されず、振り向かず、自分らしく生き生きと過ごし、他者に対しては寛大である桜の姿は、KOYO君の中にある自然や地球に対する畏怖心の表れであると同時に、KOYO君の求める人としての理想像にも読めます。
 正義感が強く、まっすぐであろうとする書き手の気持ちが伝わって来る作文でした。

塾長


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2018年03月25日

時間とは

OTO(中2)

「体の細胞は、常に入れ替わっているんだよ。だから、昨日の自分はもういないとも言える。」
 と先生は言った。さらに
「でも、細胞がリレーをしてくれているから今の自分がいるんだよ。」
 と言った。
 じゃあ、全ての生命体は、みんなでリレーをしてることになるのかなぁなんて思う。
 一つ一つの生き物は、自分の中でリレーをしているし生物全体でもしている。一度に二つのリレーを走るのは不思議で面白い。
 それに、自分のリレーは、自分の命が終わればそれでおしまいだけど、全体のリレーは、地球のある限り続く。自分を中心に考えなければ、生物全体で一つの生き物のようにも見えるし、細胞一つでも生き物のようにも見えるから面白い。
 もし生物全体で一つの生き物ならば、僕も細胞のような存在で四十何億年の十四年でとてもちっぽけに思えた。
 地球という一つの生物の中で僕という一つの細胞が生きているのは頭では分からないほどスケールが大きい。




引き続き、時間をテーマに書いてもらった作文を紹介します。参照「時間について」

僕らは小さな細胞の集合体である一方で、僕ら自身もまた大きな生命を作る細胞の一部である、という考えはとても新鮮でした。小さい細胞が生きられる時間や、人が生きられる時間は長くはないけれど、もっと大きな生命を思う時、僕らの命の時間は半永久的と言っていいほど壮大なものになるのですね。またそれぞれが全体になり、部分になり、同時に二つのリレーをしているという考え方にも感心しました。言い換えれば、生物は皆、二つの時間を生きているとも言えるのですね。
時間について考えるところから始まって、命のあり方にまで想像が広がっていくOTO君の作文を読んでいると、命の源について、色々な考えが浮かんで来ます。今後も自由な想像力を大切にして書き続けて欲しいです。

塾長


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2018年03月14日

時間というものとは

YUYA(小4)

 通りに出て、まっすぐ神社からぬけて、公園に行った。そこにはサクラの木があった。でも、まだつぼみの大きさだった。ぼくは少し考えた。このサクラの木は春、夏、秋、冬、どんな姿をしているのか見てみたいと。
 今日は三月一日、春か冬かのびみょうなところだった。
 つぼみから花、花からかれ木というのは、とても人間の一生と似ている気がする。ぼくは時間がこの世で一番なぞなものな気がする。なぜなら、今年の春と来年の春は全く別物なのにどちらも春という。時間とはとても不思議なものだと思った。
 時間がたつと年もとるし、地球だって動く。とても時間は深いもので不思議なものに感じた。



引き続きテーマは時間についてです。参照「時間について」

小学4年生に、「あなたにとって時間とは?」と問う課題は難しすぎるかなぁと思ったのですが、YUYA君は自分なりに考え、作文を書いてくれました。そもそも正解などない中で、自分の想像や考えを文章にするのは大変だったと思いますが、よく頑張ってくれました。特に「今年の春と来年の春は全く別物なのにどちらも春という。」という部分は、なかなか唸らされる深い気づきだと思います。小学4年生、おそるべしですね。

塾長

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2018年03月08日

時間は敵か味方か?

ANNA.N(小6)

 「時間」とは何か。辞書で調べると、答えは簡単に見つかるだろう。しかし、「命」や「愛」のように、人によって大切なものが違うように、人によって「時間」という言葉に感じる意味も違うと思う。

 私にとっての「時間」は、この世界の元だと思う。今こうしている時にも、どこかで誰かが生まれ、誰かが死んでいっている。普段、私達はそんな事は考えもしていないが、実際に起こっている事なのだ。しかし、だからと言って、私達がどうこうもできない。それが「時間」なのだと思う。

 そして、時々感じるのが、「時間は怖い」という事だ。ちょっとした選択でも、時間がたてば、大事になる事だってある。私達から見て、味方にも敵にもなるのが「時間」だ。
 そんな時間を、私達は間違えないよう、慎重に使っていかなければならない。とは言え「未来でこう後悔する」など分からないので、ある意味、私達は毎日、運試しのような形で生きているのかもしれない。

 私が今、学校で問われているのは、「卒業までの時間をどう使うか」だ。後に後悔しないよう、自分から行動していく事が、これからは大切になってくると思う。卒業まで残り二週間、残された「時間」を後悔しないように、1日1日を大切にしていきたい。



引き続きテーマは時間についてです。参照「時間について」

読んでいて面白いなあと思ったのは、ANNAさんの中で時間に対する考え方の軸が二つ存在しているように感じた事です。
まず時間は世界の元であって私達にはどうにもできないものだという考えが見えます。その一方で時間は慎重に扱いながら、後悔のないように私達が使うべきものとも書いています。時間を圧倒的で手の届かない存在と考える一方で、使うものという考えも同居しているのは実に正直な感覚なのでしょう。それは矛盾というよりも、時間という存在の難しさ、掴み所のなさを素直に受け止めていることからくる時間の二面性ではないでしょうか。同じような捉え方は、「時間は味方にも敵にもなる」という考え方にも見られます。
ANNAさんはそろそろ、物事には白にも黒にもなるものがあると知り始めているのかもしれません。今回はテスト用の作文ではなく、時間とは何かを考えてもらう事が大切だったので、無理に相反することを作文の中で整理することなく、そのままの形で残しておきました。ANNAさんが使い始めた物事の二面性に気づく目には、これからの世界がどのように映るのか実に楽しみです。
最後に今回の作文で、僕が個人的に格好いいなぁと思う表現があったのでそれを紹介します。それは「私達は毎日、運試しのような形で生きているのかもしれない」という部分です。これからの複雑な世の中を力強く、潔くサバイバルしていけそうなイメージを受けました。

塾長


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自分にとっての時間

RISA(小6)

 私にとって時間とは、自分の心の表れである。自分が退屈だと思う時には、時間はゆっくり過ぎるが、楽しい時は、時間は早く過ぎる。
 学校の授業が退屈な時は、よく時計を見る。
「一、二、三、四…」
 心の中で六十まで数える。
「五十九、六十!」
 時計を見る。しかし、三十秒くらいしか過ぎていない。
「おかしい、あの時はこわれている。」
 いつもそう思ってしまう。

 友達と話している時や、遊んでいる時は、時間を忘れてしまう。小学一年生の頃は、時間のことを忘れてしまうことが多々あった。
「五時の鐘がなったら家に帰ってきてね。」
 母に何度も念を押されて、公園に行った。しかし、五時の鐘が鳴ったことにも気づかず、結局七時まで遊んでしまった。

 成長するにつれて、時間を守るようになっていった。これは、成長につれて、心も成長しているからだ。
 だから、私は、時間とは心の表れであると思う。



時間とは心の表れですか。なるほど、そうかもしれませんね。
自分の心の状態によって、時間の流れが速くなったり遅くなったりするというのは多くの人が持っている感覚ですね。
RISAさんは、これらの考えを述べるために、実際の経験を交えて書いてくれたので、作文の書き方としても分かりやすいものになりました。
この作文を読みながら、幼い頃にあくびを噛み殺しながら教室の時計を何度も見ていたことを思い出しました。
あの時の一分と、今こうして作文を読んでいる一分では、まるで違う長さに感じます。つくづく時間というのは不思議なものですね。

塾長


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2018年03月03日

今を生きるということ

MANA(小6)

 時間とは何か。最初に思いついたのは、生命の誕生と死だ。どこかで
「オギャーー。」
 と産声が上がったら、どこかで誰かが倒れ、息をひきとる。人生とは、時間とは、そのようなものだ。
 私は前、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩を読んだことがある。この詩では、今、この時間(とき)の流れを、日常でありうることで表している。その中でも私は、第四連の文が心に残った。

「生きているということ
 いま生きているということ
 いまどこかで犬がほえるということ
 いま地球がまわっているということ
 いまどこかで産声があがるということ
 いまどこかで兵士が傷つくということ
 いまブランコがゆれているということ
 いまいまが過ぎていくということ」

 この連はまさに時間を表していると思った。今、この瞬間、何かがどこかで誕生し、何かがどこかでなくなっているのかもしれない。そう考えると、今、この瞬間を生きていられる私は、とても幸せだと思った。
 今、この瞬間を大切にするのは、とても大事なことだ。そして、悔いのないよう1日1日を過ごすということも、いつ来るか分からない別れのためにも、必要なのではないか。



あなたにとって時間とはどういうものですか?という課題に対する作文です。

MANAさんは谷川俊太郎さんの詩の一部を覚えていて、今回の作文に引用しました。谷川さんの詩を暗唱しているというだけで感心してしまったのですが、引用して満足するのでなく、その後に自分の考えをきちんと書いてくれたことはさらに良かったと思います。MANAさんの作文を読んでいて、瞬間の積み重ねが時間となり、さらには人生となるので、どの瞬間も大切に生きなくてはいけないと教えられたように感じました。小学校卒業を目前に控えたMANAさんが、時間の大切さを実感している様子が伝わって来る作文でした。

塾長
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2018年02月28日

窓の外の人達

NOA(中2)

 秋の雨は冷たい。だから家でゲームをする。外に出て遊ばなくてもいいのだから。家の中はヒーターがついていて暖かい。外とは違って。

「ポツポツ、ザーザー。」
 窓に当たる雨の音が心地良い。
 そう思うと同時に、この窓の外で苦しんでいる人がいると思うと、自分はここにいていいのか?と思ってしまう。
 しかし何も出来ない。神に祈ることで他人を助けようとする人もいる。そうしても何も起こらないし、誰も助からない。僕は本当に無力だ。他人事と簡単に切り捨てられるが、そうすべきではない。せめてもと、ユニセフなどのボランティアの箱にお金を入れるが、助けている実感がない。
 大人になったら、出来るかぎり他人を助ける人間になりたい。

 秋の雨は冷たい。でも外ではもっと冷たい思いをしている人達がいる。この人達が助かるように。今の僕は祈ることしか出来ない。叶わないと分かっていても。



この作文のテーマは「秋の雨」。もっと早く掲載するはずが、僕の仕事の遅さで遅くなってしまいました。ごめんなさい!

課題は「秋の雨」から連想することを自由に書くことでした。
主人公は暖かい部屋に守られて心地良く雨の音を聞いているのですが、思いは窓の外の人達へと飛んで行きます。そして自分とはまるで違う境遇に身を置き、苦しんでいる人々を思い、彼の葛藤が始まります。
決してロマンチックにあるいは英雄的に人助けをすることを想像するのではなく、むしろ自分の無力さに気づいているところにNOA君らしさが出ていて、自分の考えを率直に書いてくれていることが伝わってきます。もっともそこまでであれば上手に書けた作文で終わるところなのですが、さらに彼は、今できる行動をし(ユニセフの募金など)、それでもなお無力感を抱えているということまで書いてくれました。最後には、一度は自ら否定した「祈ること」しか今はできないと認めつつ、大人になったら人を助けたいとも書いてくれました。その内容から、NOA君が作文を書く時に、書かされているのではなく、自分で考えて、しっかり課題に向き合っていることが感じられました。
NOA君の作文を読んでいると中学生になってからの精神的な変化や成長が強く伝わってきてびっくりすることがあります。他者への優しい感情が芽生え、育っていく過程は、美しい草花の成長を見るように素晴らしい光景を見ているようでもあり、この仕事をしている上での大きな喜びです。素晴らしい作文でした。

塾長


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2018年02月08日

ぼくはめずらしい

REO(小6)

 こんにちは、ぼくは何の花か分からないつぼみだ。ぼくは木さんの根っこから栄養を分け与えてもらっている。
 今この時期につぼみができるのはめずらしい。だからぼくはめずらしい。めずらしいから咲いたらきれいな花になるに違いない。
 そう思っていたら枝が急にゆれ始めた。
「わぁ〜!やめろ〜!!」
 と言った。ゆらしていたのはメガネをかけている小さな人間だった。
「やめろ!ぼくはめずらしいんだぞ!」
 と言った瞬間ゆれがおさまった。そして小さな人間も去っていった。



 毎日寒い日が続いていますが暦の上では立春を過ぎてもう春。ちょっと寒いのを我慢しながら「春のきざし」を探す散歩をしてみました。
 散歩中、僕らは緑道の木の枝の先につく、膨らみ始めた蕾を見たのですが、REO君はそのつぼみの気持ちになってこの作文を書いてくれたようです。
 自分を「ちょっとめずらしい」存在として自慢げに語る蕾が可愛らしく、また、皆と同じであることでなく、めずらしいということに価値を見出しているところに面白みを感じました。
 ところで木を揺らす少年はREO君本人です。木の枝の先から自分を見下ろすような視点を使って書かれた作文は、可愛いながらも、工夫を感じる高度なもので、ちょっとめずらしい作文でした。

塾長

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2018年01月28日

検定くやしい

SUMIRE(小4)

 私は12月27日〜30日まで、新潟のスキーキャンプに行っていた。三泊四日なのだが、その中で一番楽しかったのは、三日目だ。三日目は、スキー検定。いやだなぁと一日目も二日目も思っていたけど。
 今回私が受けるのは、一般の2級だ。一般の2級は、パラレルで、大回り・小回り、そしてシュテムターンだ。
 私は検定の時、ずっときんちょうしすぎていたのと寒さでふるえていた。他の人の検定を見ていたら、次は私の番だった。
 まずは大回り、次にシュテムターン、そして最後に小回りをやったが、全然自分の本気を出せないで終わった。いちおう検定は終わったけれど、問題は受かっているか受かっていないかだ。
 そして検定の発表の時、私は紙を見て、受かっていないことが分かった。大回り、小回り、シュテムターン全部1点ずつ足りなかった。私はショボンとしたが、その後おみやげの時間で自分が気にいったキーホルダーを見つけて買ったので元気になった。
 でも、受からなかったのはくやしかったので次のスキーで絶対に受かりたいと思った。私は遠くを見て受かった時を想像した。




 昨年の出来事で最も印象に残っていることを書くという課題に対して書いてくれた作文です。

 検定直前の「ずっときんちょうしすぎていたのと寒さでふるえていた。」という一文は、この時のSUMIREさんの気持ちをとてもよく伝えてくれる表現で、表現力がついてきたなぁと感じました。
 また最後の一文、SUMIREさんの目に映っていたのは雪山でしょうか?遠くを見ながら決意を新たにしている少女の凛とした姿が浮かびました。
 まだ四年生ですが、文章がしっかりしてきましたね。成長を感じます。

塾長


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2018年01月26日

年越し肉まん

AYAMI(中2)

 もう一年経っちゃったな〜と思いながらボーッと紅白を毎年のように見ていた。久々にお父さんも日本に帰ってきて、家族みんなでこたつでほのぼのとしていた。年越しそばを食べて、テレビを見ながら笑ったりして、のんびりといつも通りの年越しだ。
 そんな時間もあっという間に過ぎていて、気がつくとテレビからボーンと鐘の音が聞こえてきた。その音と一緒に、ずっと見ていたスマホの画面から顔をあげると、もうすぐで時計の針が12を指そうとしているのに気づいた。私はお姉ちゃんと、またいつも通りのジャニーズカウントダウンコンサートを見始めた。そんないつも通りの時間を過ごし、年が明けていった。

 「よし!じゃあ行くか!」
 とお父さんは暖かいこたつから立ち上がりコートを着始めた。私の唯一の年越しの楽しみで、毎年恒例の、神社で鐘を鳴らしに家族みんなで外へ出た。
 外は真っ暗で、人通りが少ない町を歩くのは何か特別感があってドキドキした。
 今年は珍しく祖母の家の近くの神社ではなく、家の近くの神社に行ってみることにした。しかし、そこに着くと、寒い中、坂の上から想像以上に人が並んでいてびっくりした。あまりの人の多さに私達はあきらめて家に帰ることにした。
 私が少し落ち込んでいると、お母さんがコンビニでホクホクの肉まんを買ってくれていた。坂の上からは、ボーンと鐘が町中に鳴り響いていたが、肉まんだけで私は十分幸せだった。いつも通りじゃないけど、肉まんの年越しもいいなと思った。




文章全体から家族で過ごす穏やかな年明けの空気が伝わってきて、読んでいて幸せな気分になりました。
前半は『いつも通り』という言葉が何度も出てくるように、家族で変わりなく過ごす幸せが描かれ、後半はいつも通りにいかないながらも、家族とのふれあいの中で見つける小さな幸せが描かれています。そして最後は、坂の上から町中に響く大きな鐘の音と、手の中の小さな肉まんのイメージが、大小異なりながらもそれぞれにAYAMIさんが持つ幸せのイメージとなり、ほっとするハッピーエンドとなりました。家族がいれば結局は幸せなんだなぁと思わせてくれる優しい作文です。

塾長


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2018年01月25日

ストレス解消の雪合戦

REI(小6)

 昨日は雪が降った。今日は雪は降っていなかったけど生徒は安全のため10時30分前の登校となっていた。しかし私が学校へ着いた時間は9時40分。約1時間ほど早く来た。もちろん理由はある。それは雪遊びがしたかっただけである。周りの人から見たら「小六にもなって雪ごときでそんなにはしゃぐか」という風に思うかもしれないが、この間の雪(四年前)が降った次の日、雪をさわろうとしたら何と…かたい。そうメチャクチャかたくて人にぶつけたらケガして大変というくらいのレベルで、校庭でも遊べず雪がとけるのを待つだけになってしまった。しかし今年の雪は柔らかい。お〜。それだけで感動してしまった。「よし今年こそ雪合戦するか!」と思い、なるべく早く学校へ行きたくなり、急いで向かった。

 さっそく自分の学校の馬鹿でかい校庭を見ると、一面まだ誰も踏み入れてない真っ白な空間が広がっていた。太陽の光が当たるとキラキラ反射していて幻想的だった。しかし校庭に入ってはいけないという指示が出ていたのであきらめて教室へ向かった。

 ろう下を歩いていると考えが浮かんできた。「三時間目って体育…。てこーとーは…!」そう一、二時間目からではなく三時間目からの登校だったので、最初の授業は三時間目からとなり、そして外の一番広い校庭は私達が使う事になっていた。そう私が真っ先に思い浮かべたのは「外で体育+雪=雪遊び」だったのだ。まあそうなる事は多分ないな、と思いながらまた歩き始めた。

 10時30分になり、三時間目が始まった。そこでまさかの奇跡が起こった。本当に体育の授業が雪遊びだったのだ。

 真っ先に校庭に飛び出していくと、どこまでも続きそうな白い雪があり、今まで見た景色で最高の瞬間になった気がした。踏み入れるのがもったいなかったが、さっそく遊び始めた。

 まず最初に大玉を六つ作り、そのうち二つは雪だるまにした。残った四つは後のお楽しみだ。
 すぐに誰が言うまでもなく雪合戦は当たり前のように始まった。そこで私は大玉を利用した。まず三つは私がいつもクラスで戦っている三人へ投げた。いつもうるさいA君、ナルシなB君、いつも私にケチをつけて調子に乗っているC君。どれも命中した。これで日頃のストレスを解消。最後の一番でかいのは先生へ当てた。これはストレス解消より何となく。生徒に散々雪玉を投げられて、へにょへにょになっている先生に向かって「エイヤ!」と投げた。そうすると先生の頭はびちゃびちゃになり、その場に倒れてしまった。そしてみんなで、夏のビーチで砂に埋めるように、雪バージョンで先生を埋めた。もちろんその後、ちゃんと出て来たけど先生はもう池に落ちましたって感じになっていた。言い出しっぺは先生だが、生徒に散々いじられてる先生を見ていると気の毒になって来た。なんかごめんなさい…と心の中で謝った。




 突然の大雪。滅多にない機会なので予定を変更して雪遊びについて書いてもらいました。

 REIさんの雪への素直な感動が感じられる「一面まだ誰も踏み入れてない真っ白な空間が広がっていた。太陽の光が当たるとキラキラ反射していて幻想的だった。」の部分はとても静かで美しい表現です。この部分が書かされたものではなく、自ら楽しそうに工夫して書いてくれていたということが嬉しかったです。
 後半の雪遊びの場面では、前述の表現とは対照的に、小学六年生のみんなが大はしゃぎで遊んでいる様子が目に浮かびます。生徒と一緒に思いっきり雪遊びできる先生は体力も人気もあるのだろうなぁと想像しつつ、風邪をひかれていないと良いなぁとも思いました。卒業間近の小六のこの時期は、先生も生徒も一番仲が良くなって、最後の楽しい思い出を作れる貴重な時間を過ごしているのかもしれませんね。

塾長


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2018年01月24日

二〇十七年最大の後悔

ANNA.N(小6)

 テレビで毎年恒例の紅白歌合戦が始まった頃、私は祖父母の家でぼんやりとテレビを眺めていた。お父さんは先に寝てしまい、何だかテレビを見る気力も失せていた時だった。弟がやって来て、一緒に寝ようとさそってきた。弟は一人で寝る事が出来ないし、今日はお母さんもいなかった。紅白もしばらく見たいアーティストが出てきそうになかったので、弟が寝るまで、一緒に寝てあげる事にした。

 翌朝の六時頃、私はケータイの着信音でふと目が覚めた。ケータイには友達からの新年のあいさつのメッセージがあったが、時計を見て、私は寝てしまった事を悟った。その時私はすごいショックを受けた。まだ紅白も見たかったのに、おやすみなさいを祖母にも言わず、寝てしまったのだ。しかし、どんなに後悔しても時は戻ってこない。私は腹をくくって、リビングへ向かった。
 リビングと、そのとなりのキッチンでは、祖母が朝からおせちを作っていた。おいしそうな音が、辺りに響いている。
「おはようございます。」
 とあいさつすると、私もおせち作りを手伝うよう言われた。大体は盛り付けだったのだが、パズルみたいで楽しかった。

 午後から、お母さんも加わり、もう片方の祖父母の家へ行った。従兄弟もやってきて、和気あいあいとしたムードになったが、そこで持ちきりだったのは昨日の紅白の話だった。私は会話についてゆけず、何だか再び後悔した。人はこんなにもテレビが欠かせないのかと思った。




「わたしの年明け」について書くという課題でした。

「紅白もしばらく見たいアーティストが出てきそうになかったので」の一文に最近の紅白歌合戦に対する一般的な視聴の仕方が書かれていて、うまいなぁと思いました。同じような感覚で紅白歌合戦をつけているご家庭も多いと思います。大晦日のテレビの前の雰囲気がよく伝わります。また家族に対する描写からは、家庭での家族とANNAさんの関係性が見えてきて、作品に血が通い温かみがでました。(家庭での事を書きながら、自分のこと以外はあまり書けないお子さんも多いです。)構成としては、一旦は立ち直ったはずの『見損ねた紅白』の件が、最後にオチとして出てくるのが上手でした。家庭の雰囲気を書きつつ、後半への伏線になっていたところは見事でした。

塾長

posted by 塾長 at 15:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 作文紹介
プロフィール
名前:塾長
自由が丘で作文教室を運営。
小学生から高校生まで広い年齢層の子供たちとともに、書かされるのではなく、書きたくなる作文を目指して活動中。