2016年07月16日

七夕とアイス

KOHAKU(中1)

 ドアを開けると暑かった。
「もう七夕だぁー!」
 一年に一回しか会えないなんて、すごく悲しい。今年は久々に晴れていて、とても暑かった。織姫と彦星は嬉しいと思う。
 ローソンに入った。少しびっくりした。先生がガリガリ君を買ってくれた。今日二回目のアイスだ。今日は幸せだ。
「ガリガリ君が当たりますように。」
 心の中で願っていた。でも当たらなかった。当たっていたら、三回もアイスが食べられたのに。
 途中、お店の前に短冊がかかげてあった。見てみると、好きな人に会えますようになど、色んな色の紙で書いてあった。天の川では二人が会えているいいな。
 日本の東京が今日も平和でよかった。緑道ではおばさんが逹がおしゃべりしていた。一人で空を眺めているおじさんもいた。こんなゆっくりできるなんて、やっぱり東京は平和だな。



七夕の夜にガリガリ君が当たることを願っている無邪気さが、今の東京の平和を表しているようで、ほっこりします。緑道のおばさんのおしゃべりも、空を見上げるおじさんも、同様に平和を見事に表現していると思います。素直で明るい文章の中に、的確な観察眼を感じました。毎年このような七夕が送れるとよいですね。こんなご時世なので、余計に心に響く作文でした。

塾長

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2016年07月15日

雨もいい

ANNA.N(小5)

 その日の朝、私は友達と二人で黄色い傘をさしながらトボトボと学校へ続く道を歩いていた。
 雨の日はきらいだ、と友達は言う。学校のろう下ですべるし、ミミズが大量発生するし、すぐぬれるし、外では遊べないし、プールや行事もできないからだそうだ。
「ねえ、今日も運動会えんきかな?」
 友達が私にきいてきた。
「うん、さすがにこの天気ならえんきじゃない?」
 私は答える。
 そう、今年は運動会が雨のせいで何回もえんきになっていた。
「あーあ!雨の日なんて大っきらいだ!」
 そうかな?私は心の中で思った。雨の日だからこそできる事もあるんじゃないかな?
 友達と教室に入っていってしばらくすると、チャイムが鳴って、先生が入ってきた。
「先生、今日もえんきですか?」
 クラスメイトが先生にきく。
「はい……。」
 先生は少し悲しそうに答えた。みんなは、
「えーー!」
 と口々に文句を言っている。
「またか……。」
 みんなはそう思っていたが、私はちがった。
「いいじゃん、作戦会議できるし、練習もできるし。」
 そう思いっていた。
 私は晴れより雨の方が好きだ。雨の中、水たまりでピシャピシャするのは楽しいし、雨のひんやりとした冷たさはとても気持ちがいい。それに私たちが飲んでいる水も元は雨だし、植物や動物も水が無いと生きていけない。
 十分休みになって、ベランダへ出ると、ナメクジが水たまりでおぼれていた。私が助けてあげると、ナメクジは「ありがとう。」と言うようにさくをのぼっていった。
 私は、少し心が温まるのを感じた。




周りが「雨はきらい!」と言っている時に、一人少し違う視点でものごとを見ている様子がよく伝わってきます。雨の大切さに気づいているのも素晴らしいですが、何よりも、周りに流されずに自分で物事を捉え、考えている姿勢が素敵だなと思いました。皆が嫌がるものの中にも良さを見つけて、雨でさえ楽しんでしまう主人公は魅力的です。ナメクジを触れることに少々驚きつつ、風の谷のナウシカを思い出しました。


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2016年07月14日

七夕の「かもしれない」

YURIKA(中1)

 階段を下りると、工事中の店があったり、電気がついたり消えたりしている建物もあった。今日は七夕だというのに今のところ特に変わった様子もない。
 イヤホンを耳につけて一人で歩いている男の人、ベビーカーを押して歩いている女の人、自転車に乗ろうとチャレンジしている男の子……。ぱっと見では変化は分からないけれど、もしかしたらその人にとって特別なことがあったのかもしれないし、これからあるのかもしれない。
 男の人が聞いている曲は、何か特別な曲かもしれないし、ベビーカーに乗っている子どもは今日が誕生日かもしれない。もしかしたら男の子も自転車に今日乗れるようになるかもしれない。
 今のことはあくまでも想像だけれど、百パーセントまちがっているとも言い切れない。だから、こうして普通に街を歩いているだけで幸せなことだと思う。




 ベビーカーに座る子どもは今日が誕生日かもしれない!と思った途端に、文中の風景に色がついたように感じました。そしてなんだか嬉しい気分になりました。YURIKAさんが、平凡な風景の中から特別なものを見つけようとしてくれたこと、それらを見つけて文章にしてくれたことが嬉しかったからです。
 YURIKAさんには、他の人達と同じ景色を見ながら、他の人に見えないものを見る力があるようです。その想像力は退屈な時間を特別なものに変え、特別ではない日々を幸せな日々に変えてくれるかもしれませんね。


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2016年07月13日

A DREAM

TAKUYA(中3)

 工事うるさい。外暑い。歩くのだるい。人多くてうざい。いらいらする、いらいらする。
 ただでさえこんなにストレスフルな社会なのに、学校、塾……。なんて人生だ、とつくづく思う。もう今にもパンクしそうだ。
 なんたって運命はいたずら者だ。学校の席はうるさい奴と、担任は嫌味、嫌なことを話し始めたら千一夜あっても足りない。
 浮世の嫌なことを忘れるために走りに行ったのに、その帰りにはもう嫌なことを考えている。そんな時、ふと幼稚園の前に飾られてある短冊に目が止まった。
「ウルトラマンになれますように。」
「動物と話せますように。」
 荒唐無稽とは思ったが、心が少しだけ和んだ。誰もネガティブなことは書いていない。その素直さがきっとそうさせるのだろう。
 私も願いを考えることにした。
 きっと嫌なことばかり起こる人生じゃない。
 神様、願わくば、私の夢を叶えてください。



七夕の夜に散歩をして、感じたことを書いてもらいました。受験を控えた中三らしくストレスを抱えた現状を吐露する一方で、幼稚園児が書いた短冊を見て自分も何か願い事をと思うあたり、筆者自身が持つ素直な一面も表現されていてほっとします。また、上手いなぁと感心したのは、ストレス解消のために走りに行った帰りにはもう嫌なことを考えているという一文。自分の気持ちの動きを良く捉えていますね。僕もそんなことが良くあります。共感しつつ感心しました。


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2016年06月08日

「夏の不思議なでき事」/「カッパの楽園の一大事」

KEITA(小5)
第1章「夏の不思議なでき事」

 ある年の夏。小学五年生の一学期を終えたユウキが学校の帰りに近くの熊野寺神社に友達のワタルといっしょに遊びに行った。そこで神様の祭られている本殿でいっぱい遊んで、顔がきたなくなって手水に向かった。二人は手水に直接顔をつけた。だがその手水は特別なもので、二人が顔を上げた時には目の前にカッパがいた。そのカッパがユウキとワタルの手を取り、手水の中に引きずり込んだ。
 そうしたら二人は知らない変な池がいっぱいある空間に来てしまっていた。

「ここどこ?」
 とユウキはカッパに聞いた。するとカッパが
「ここはカッパの楽園だ。お前たちが神様の祭られている目の前で遊んでいたから罰を与える。」
「罰って?」
 とワタルがカッパに聞いた。
「水の中に一時間いる罰だ。」
「そんなの死んじゃうじゃん。」
 ユウキがカッパに言った。カッパが
「だったらカッパの楽園で十日間ずっと食事ぬきで働くかどっちかだ。」
 と言った。ワタルが
「そっちも死ぬじゃん。」
 と言った。
「あと一時間で罰を与える。それまでにどっちか選んどけ。」
 カッパはそう言ってろうやを去った。
 十分後。
「ねぇユウキ。」
「なにワタル。」
「罰を与えられたら死んじゃうからここを逃げない?」
「うん。そうしよう。」
 ユウキがそう言って、二人はろうやから逃げることにした。
 十五分後。
「ワタル、やっと床板をはずせたよ。」
「ナイス!」
 二人は床板をはずしてその下を通って逃げるつもりだ。二人は床下をほふく前進で進んだ。
 しばらく進んで外に出ると池がいくつも広がっていた。そこにはカッパがいっぱいいた。そんな所に一人の四年生くらいの少年がいて、近づいてきた。
「お兄ちゃん達名前は?」
「オレがユウキ。でこっちがワタル。お前は?」
「ぼくはソウタ。」
 小さな少年のソウタがそう言った。
「お前はここで何やってんの?」
 とワタルがソウタに聞いた。
「ぼくは手水で自分の顔をのぞいたら落ちてここに迷いこんじゃったの。」
「なぁ、お前ここからの出口知ってる?」
 とワタルがソウタに聞いた。
「知ってるよ!」
「じゃあ教えてくれよ。」
 とユウキが聞いた。
「いいよ。左から四番目の熊池の水の中を入っていって深い所に門がある。その門を開けて通れば熊野寺神社の手水に出られる。だが門に門番が三パいる。(パはカッパのいる数の単位)カッパを倒すにはそこら辺に生えているキュウリを行きたい方向と違う方向に投げればいい。」
「ありがとう。」
 ユウキが言った。ワタルが
「ソウタはいっしょに逃げないの?」
 と聞くと
「他にもカッパの楽園に迷い込む人を、あっちの世界に返さないといけないから。」
「うん。わかった。バイバイ。」
 ユウキはそう言って生えているキュウリをとって熊池に向かった。そこには深い池があった。他の犬池、猫池、猿池、鹿池は浅く池の底が見えるのに熊池は池の底が全然見えない。
「行こう。」
 ユウキが言って二人はもぐっていった。下にもぐって三十メートルぐらいしたら底が見えた。そこで門をさがすと門があった。そこにはカッパが五パいた。いつもより多かった。今持っているキュウリは四本。ワタルがキュウリを二本右に投げた。ユウキも右に二本キュウリを投げた。すると五パのカッパが投げた方に向かって泳いでいった。そこでワタルとユウキは門を開けた。そして熊野寺神社の手水に帰ってきた。
「帰ってきたんだ。」
「うん。」
 と言って二人は喜んだ。


第二章「カッパの楽園の一大事」

 「なんだあの二人の人間は。神社で遊んで手水で顔洗おうとしているぞ。」
 と熊野寺神社派のカッパのボスが手下に言っている。
「あの人間たちは自分がやっていることを分かっていない。ちょっとこらしめてやれ。」
「わかりました。」
 と手下が言って熊池に向かった。そして熊池の門番に
「人間二人をカッパの楽園に連れてきて、街の中心にある人間刑務所の一階の二号室にいれておけ。」
 と言って足早に去っていった。
 門番はユウキとワタルを二号室に連れて行ってボスカッパに伝えた。ボスカッパが二人に
「罰を与える。一つは水の中に一時間いるか、もう一つは十日間食事ぬきで働くかだ。一時間後に来るから良く考えておけ。」
 そう言い終わると大好物のキュウリを食べに一時間休憩に出かけた。
 一時間後、ボスカッパはいつも自然を破壊する人間を捕まえて、どのような罰にするか楽しみに考えながら手下と歩いていた。ところが二号室を見た瞬間驚いて倒れてしまった。なぜならそこにいるはずの人間二人がマジックのように消えていたからだ。ボズカッパは
「あのものすごく悪い人間を捕まえろ。絶対に逃がすな。」
 と言った。手下はあわてて指令室に向かって行った。ボスカッパはあせっていた。人間ならすぐに捕まえられるが、前に逃したここを知り尽くす人間に会ってしまうと見つけることができなくなってしまうからだ。自らも探したが出てこない。また悪い人間を逃したかと思い、非常に悔しかった。すると手下に
「門の中に入られてしまいました。あっちの世界に行くと見つけ出すのは不可能です。」
 と言われてもっと悔しくなった。これからはパトロールを一日一回三十分やろうと決めた。
「次は悪い人間を絶対に逃がすな。ここにいる一人も見つけ出せ。」
 ボスカッパは、発展のために自然を壊し、好き勝手に生きている人間が許せなかった。だから次の人間は絶対にこらしめるというより強い気持ちが心の底にあった。だからよりいっそう人間に対する警戒心が強いのかもしれない。



 今回紹介した作品は一つの出来事を二つの立場から書いた創作です。初めに紹介した「夏の不思議なでき事」は人間の側から書いたもので、当初はこの人間側から書いた物語で終わる予定でした。ところがKEITA君が作品完成の締め切り前に早々に書き終えてしまったので、実験的にかっぱの側から書くことをお願いしました。その時に書かれたのが「カッパの楽園の一大事」です。ひとつの出来事も立場が変われば、その見方も善悪の評価も大きく変わることを知って欲しかったのですが、見事にそのことを理解した上で書いてくれました。世界には多くの対立が続いています。私たちの日常においても同様です。子ども達には、物事をいろんな角度から捉え、想像力を働かせることができるようになってほしいと考えながら接しています。まだ小学五年生のKEITA君はそろそろその準備ができ始めているようで頼もしく思いました。

塾長


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2016年02月19日

広い心

KAO(中1)

 私は空を見上げた。

 その空はいつもの私とどこか似ていた。
 それは何も考えずにいる真っ黒な空だった。

 けれどなぜか明るい面も持っているようだった。
 一つの色で統一し正々堂々としていたからだ。
 自分をきちんとアピールしている。
 私は、とても憧れの気持ちが強くなった。

 空のいい所はとても心が広く、この世の中の全てを受け止めている所だ。
 とてもすごいと思う。
 そんな空にはこれからも、この世界を広い心、優しい心で見守っていてほしい。




文集作成のため過去の作文を整理していたら、短い素敵な詩のような作文がでてきました。もう1年ほど前に書かれたもので、書いた当時のKAOさんは小学6年生でした。新しい生活を目前に控えた時期だけに、何かに憧れを抱く気持ちが膨らんでいたのかもしれません。夜の散歩中にほんのひととき見上げた黒い空に思い巡らせ綴られた言葉は、自分の目指す理想像が書かれているようにも読め、あるいは自分を日頃から守ってくれている存在に対する憧れの気持ちが書かれているようにも読めます。
短くてもKAOさんの想像力、感受性の豊かさが感じられる魅力溢れる文章でした。

塾長


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2016年02月13日

冬のロッククライミング

JION(小5)

 「あーあー手が凍って痛い。」
 あと少しで一番上に行ける。足を次の石につけて、曲げて、さらにのばすと体が上がった。やっと最後の石をにぎることができた。
 そこで、ぼくはすぐに
「おねがいします。」
 と係員の人に言った。係員の人は、ぼくの体を支えるためにロープを引いてくれた。ぼくは、かべを手で押してはなれた。すると、ぼくの体が、ふわっと浮いた。ぼくの体は少しずつ下りていった。両足できれいに着地することができた。そうすると、ぼくの体は地面に着いたので安定した。

 今日、ぼくは、ロッククライミングをしに来ている。これから登るのは、斜面が初めから自分の方にかたむいているかべだ。二回目の方がむずかしそう。
 「よし。」
 と気合を入れて、手を石にかけた。最初は自分の方に、かべがかたむいているので、頭を後ろに下げて、手を上げて、足を上げてを繰り返す。そうすると、バランスが取れる。ちょっとずつ上に上がっていった。しばらくすると、かべが地面に対してまっすぐになってきた。けれども、石の数が少なくなった。石の数が少ないから、登りにくくなった。
「あーむずかしくなった。」
 ぼくは、一人でつぶやいた。つかまる所が少ないので、ぼくは、すぐ上の石に乗り移って移動した。なぜかというと、石の数が少なくて止まる場所がなくて、石を手でにぎっていると、つかれてしまうからだ。体力を失うと、落下してしまう。

 それから最後の難所だ。最後は、最初の方で体力を使っているので、体中痛くて、とてもやりにくかった。石を早く登っていくと、頂上についた。
 最後まで行けてとてもうれしかった。達成感があった。
 下りて、見上げると、かべが小さく見えた。




 まだ作文を初めてから日が浅いJION君にとって、教室以外のことをじっくり書くのはこれが初めてでした。
 色々と状況説明をしたくなるところを、あえて「あーあー手が凍って痛い。」という独り言から始めてみたのは良かったですね。そこからは読む人の多くにとって、あまり馴染みのないロッククリミングが題材とあって、どこまで説明を入れるべきかというむずかしさのある中、記憶をたどりながら丁寧に書いてくれました。最後の一文、『下りて、見上げると、かべが小さく見えた。』は、物理的にも精神的にもかべを一つ乗り越えた時の心境を見事に捉えた一文でした。この一文が書けただけで、今回の作文を書いてもらって良かった思えるほどの素晴らしい一文でした。

塾長

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2016年02月12日

友達とタピオカ

YUKA(中2)

 外に出て、少し歩いていると、つい一昨日来た道が広がっていた。時間帯のせいもあるのか、前に開いていた店が沢山閉まっている。しかし、パチンコ屋がある辺りは、いつも通り明るく光っていた。
 そんな中、私は色々なことを考えていた。
 例えば、学校のことだったり、タピオカの上手な吸い方などを考えていたが、一番私の頭の中を占めていたものは、「SHISHIMA(シシャモ)」というバンドのことだ。このバンドは、最近友達に勧められて知ったバンドだが、聞いた途端すぐにはまってしまった。
 「SHISHIMA」の歌で、「脇役」という曲の一節に、「友達は何人ですか、一人です、さみしいなんて思わない、量より質と教わったから」というものがある。私は、この歌詞を聞いて、最近「友達」というものについて考えるようになった。未だ「友達」の本当の意味を私は理解できていない。悩みだって沢山ある。しかし、この意味が全て解った時に今の悩みが全て吹っ飛んでいたらいいなと、先生に買ってもらったタピオカを飲みながら考えていた。
 次は、その本当の意味での友達と一緒にタピオカを飲みたいと思う。



うちの塾では良く散歩にいきます。ひとつには季節を感じたり、周りを観察したりすることで作文のネタになるからです。でも、時に散歩は、自分の考えを整理したり、自分と向き合ったりする時間にもなります。
YUKAさんの作文は日頃から内面の葛藤や悩みに踏み込んで書いてくれることが多く、同じ年頃の人の多くが抱える問題にも正面から向き合っている印象があります。今回もちょっとした散歩の中で、友達というものについて、まだ答えは出ないものの、思いを巡らせている様子が良く伝わってきます。また、「友達」の話に繋げるために歌詞を引用する際には実に適切な選択がなされていて、YUKAさんの友達というものに対する立場が理解しやすくなっています。そこに感覚の鋭さやセンスの良さを感じました。

塾長


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2016年02月01日

一度しかない時を大切に生きる

MAYO(高1)

 小学校の勉強きらいなんだって?
 ベトナムの部落の人たちは、毎日この丸太橋を渡って、水汲みにも行くし、町にも行く。子どもたちだってこの橋を渡らなければ学校にも行かれないんだよ。
 この絵はがき、君にあげるよ。


 こんな文章といっしょに一枚の絵はがきと四枚ほどの手紙が机のひきだしの中から出てきた。

 まず絵はがきの話をしよう。絵はがきは二年前に亡くなったベトナムのおじさんに小学生の頃にもらったものだった。この絵はがきを初めて見た僕は、おそらく『ベトナムの人は大変だな。』くらいにしか思っていなかっただろう。しかし、高一になった今、再び絵はがきを見てみると、色々なことが感じられる。今年、僕は無事に中学を卒業して高校生になった。日本ならば普通のことだろう。しかし、ベトナムでは家の仕事などで学校に行けない子どもがたくさんいる。それに比べて何もしなくても小学校に通い、中学に通って、高校に行けるのはとても幸せなことなのだ。だから学校がめんどうくさいなどと言って学校をさぼったりするのは、学校に行けない子どもたちを馬鹿にしているのと同じことなのだ。僕が思うにおじさんは絵はがきをくれた時に『君は学校に行けて幸せなんだよ。』ということを言っていたのだと思う。

 次に手紙の話だ。絵はがきといっしょに出てきた手紙は、おじさんが亡くなる一年前(僕が中一になった年)に送られてきたものだった。この手紙を読むのは確か二回目だった。『今年も新年を迎えてもう二ヶ月もたちました。』という書き出しで手紙は始まっていた。まるで遅れてきた年賀状みたいだった。しかし、後の文章には不思議なことが書かれていた。それは『おじさんは人にはあまりおめでとうとは言わないんだよ。』と書いてあった。その理由は手紙の三枚目と四枚目に書いてあった。

 世間の人はお正月や入学式などによく(おめでとう)と言う。しかし、ほとんどの人はそういうシキタリだから言っているにすぎない。例えば正月は何がおめでたくて(おめでとう)と言うのか、僕も手紙を読むまでは知らなかった。正月のおめでとうは、「自分のこれまでの人生には嬉しいこともあったけど、悲しいこともたくさんあった。今日から始まる一年が、嬉しいこと、楽しいことのたくさんある一年になってほしい」という意味がある。僕以外にも知らなかった人は多いのではないか。

 おじさんが僕に中学校入学時におめでとうと言わなかった理由は、中学が義務教育だからだ。しかし、中学を卒業したら義務教育は終わり、高校に進むか就職するかは親と自分の問題になる。おじさんは僕に、中学から高校に行くか行かないかが僕の人生で初めての分かれ道になるだろうと言っていた。おじさんは僕に高校に行けとは言わなかった。自分の道は自分で選ぶのだ、と言いたかったのだろう。そして僕は高校へ行くことを決めた。

 最終的におじさんが言いたかったのは、一人の子供が少しずつ大きくなって大人になり自分の道を自分で決めるのはとても大変で、今の自分がそうであったということだ。だからおじさんは僕に簡単におめでとうと言えなかったのだろう。分かりやすく言えば、これからが大変な人におめでとうとは言わないのと同じだろう。

 手紙はピッタリ四枚で完結していた。手紙をもらった頃の自分はまさかおじさんが次の年に死ぬなんて思ってもいなかっただろう。今度戻ってきたら、また将棋をやろうと思っていた。おじさんから日本に届いた最後のメールには、


 今年は、五月か六月に帰国しようと思っています。MAYO君とRANちゃんへ。今度いつか日本で会うときは、二人がどんなふうに変わっているか今から楽しみです。


 と書いてあった。そのメールを書いてわずか十五日後、おじさんは自宅で倒れ入院、二月七日に永眠した。

 おじさんが亡くなってから数ヶ月がたった頃、親戚の人たちでおじさんへの追悼文を書いた。僕も書いた。また、あの長い手紙もそこに載せられた。しかし、僕がおじさんに書いた文章はたったの三行だった。数える程しか会っていない僕に毎年のように長い手紙をくれたおじさんに、たったの三行しか書けなかった。自分に関係のある人がこの世を去っていったのは三度目だった。しかし、初めの二度は自分が幼く、まだ人が死ぬことについてよく分かっていなかった。十三歳になって初めて人が死ぬということを知った。だから自分は驚いていたのかもしれない。しかし今の僕ならもっと書けるだろう。

 もし今もおじさんがいたならば、社会人に一歩近づいた自分を見てもらいたかった。そしていつかおじさんに、「おめでとう」と言わせたかった。


 義春おじさんへ

 もうおじさんが亡くなって二年もたちました。僕は無事に高校に進学しました。おじさんの言っていた人生最初の分かれ道を過ぎ、二つ目の分かれ道に向かっています。おそらく次の分かれ道は大学に行くか高卒になるかでしょう。自分としては、高専に入ったからには、五年間学校に行って良い仕事に就こうと思っています。それと、おじさんの作っていた日越辞書が届きました。でも、おじさんはこの辞書が完成する前に死んでしまったのでとても残念でもあります。もしも生きていたら、ベトナム語の読み方くらいは教わりたかったです。

 最後に、短い間でしたがありがとうございました。おじさんのおかげで僕はこれからどのように生きていけば良いかが見えました。一度しかない時を大切に生きようと思います。        




ちょっとブログで紹介するには長いかもしれません。でも、あまりに素敵なので紹介しちゃいました。書いてくれたMAYO君は高校一年生の男子です。この作文は彼が当塾で書いてくれた最後の作文、いわば卒業作文です。やんちゃで可愛らしい小学生だった彼が、この歳になるまで通ってくれたこと、こんなにも心に響く本音の言葉を照れることなく書いてくれたことに感謝しつつ、その成長を嬉しく思います。
作文は亡くなられたおじさんの手紙をたどる形で彼の成長を著したものです。彼のことを知っている人と知らない人ではそれぞれ感じ方は違うでしょうが、高校一年生の男子が書くまっすぐな言葉をお読みいただき、何か感じていただければ嬉しく思います。
MAYO君、これまでお疲れ様、どうもありがとう!これからが本当の勝負ですね。応援してます!

塾長

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2016年01月07日

ミルクティーで考える

HARUNO(中二)

 十二月二十五日、クリスマス真っ只中の今、わたしはカフェの二階で作文を書いている。華やかな街のイルミネーションと対照的に、店内は静かに過ごしている一人の客が多い。クリスマスだから、浮かれているカップルが席を占領しているのかと思ったが、そんなことはなかった。四人分の席が、簡単に見つかった。びっくりだ。

 店内をさらに見渡してみると、ひたすらパソコンをカタカタと打ち込んでいる人やスマホとにらめっこしている人、美味しそうなパンを無表情で食べている人……。実に色んな人がいた。これまでの私のクリスマスの夜のイメージは、みんな早く自分の家に帰り、友達や家族とたくさんのご馳走を囲んでワイワイとパーティするといったような楽しく賑やかなものだった。でも、この店内は違う。私にとって、謎の多過ぎる空間だ。本当に。

 ミルクティーを半分飲み終えた。ここで、もう半分しかない、と悲しむか、あと半分もある、と嬉しく思うかでポジティブなのかネガティブなのか大体分かるという話を思い出した。私は、もう半分しかない……と考えるタイプだ。でも、これでネガティブだ、と言われたら私は全力で否定したい。そんなことない、と。

 ミルクティーの三分の二を飲み終えた。周りを見渡すのは三回目。クリスマスなのに、上司とコーヒーを飲みながら、頭をペコペコ下げている人。可哀想だな、早く帰らせてあげてよ、心の中で思った。先生の隣に座って勉強している女の子。きょうぐらい家でゆっくりすれば良いのに。大変だな、受験生なのかな。色んなことが頭の中で連想される。そんな感じで、店内には私よりも“大変そうな人”が沢山いた。こんな、幸せなクリスマスを送れていることも神様からのクリスマスプレゼントだ。心がポカポカ温かい。みんながみんな、自分のような賑やかで楽しいクリスマスを送っているわけじゃないんだ、と思い、今日に感謝した。これから先、どんなクリスマスを過ごすか分からないけど、この日ぐらい神様に感謝しようと思った。





 クリスマス当日のように極端に生徒数が少ない場合、ごく稀に喫茶店で作文を書いてみることがあります。いつもとちがう場所で書く作文は、脳にとても心地よい刺激を与えてくれて、良いものが書ける場合が多いのです。
ここに紹介したHARUNOさんの作文もリラックスした気分の中、ミルクティを飲み進むに連れて、周囲の人達に対する理解が深まり、気持ちが変化していく過程が良く書かれていて、いつもと一味違うエッセイとなりました。初めは、自分の予想と異なる店内に驚くばかりでしたが、しだいに同じ空間に居ても様々な事情を抱える人がいることに気づき始め、後半では他人に対する優しい気持ちが芽生え、自分が幸せであることを実感していきます。周囲を眺め、観察し、他と自分を比べることで自分を客観的に見ることができました。
 ちなみに僕も、もう半分しかないと考えるタイプです。もう半分しかないからこそ、大切に味わおうと思うので、これはこれで良いのかなぁ。人生や時間に対する場合も同じですね。人生の半分以上を使ってしまったと思われる僕にとっては、心にしみる挿話でした。

塾長

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2015年12月24日

サンタさんへ

REO(小4)

 サンタさん、いつもありがとうございます。ぼくが小さいころにおもちゃをくれて。
 そんなサンタさんへお願いがあります。この世界で食べ物に困っている人たちに食べ物をプレゼントしてください。そうすれば、困っている人たちも生きていけて、いっぱいの命が生まれることができるからです。どうか食べ物をプレゼントしてください。




今世界に何が必要か?それを子どもたちに質問すると、ほとんどの場合、正しい答えが返ってきます。授業で「世界の子どもたちのために、サンタさんに手紙を書いて!」という課題を出した場合も同様です。誰一人として、敵を倒すための武器が必要とは書きません。衣食住や安全な生活、教育などの必要性について書く子どもが圧倒的に多いのです。人はいつから間違えてしまうのでしょうか。我々は今少し、子どもたちの声に注意深く耳を傾けるべきなのかもしれません。

塾長


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2015年12月23日

サンタさんへ

REI(小4)

 えんぴつやノートをもらえない、買えないこどもたちに、えんぴつやノートを届けてあげてください。なぜなら、勉強に必要なえんぴつとノートがなく、土に書いている子もいるからです。また、ノートやえんぴつが少ししかなくて、みんなでまわして使っているところもあります。そんな子が一人一人ちゃんと勉強できるようにノートとえんぴつがない子に届けてください。
 サンタさんもクリスマスはいそがしいけど、正月は体を休めて、来年もまた元気に来てください。




 日本の小学生を見ていると、勉強の機会は嫌でも与えられるものであり、自ら進んで喜んで勉強している印象はありません。むしろ勉強はしなくてはならないものだからしているという印象です。それでも、勉強が子どもに必要だということはちゃんと知っているところにほっとし、感心しました。世界中の子どもたちが、日本と同じくらい勉強できる環境が整ったとしたら、その頃には世界が平和になっているかもしれませんね。この作文を読んでいて、そんなことを考えさせられました。

塾長


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サンタさんへ

RIO(小5)

 戦争している国の子どもたちや色々な国の貧しい子どもたちのために、飛行機の券と水とお金と家をあげてください。
 戦争している国の子どもたちが、ちがう国に行ってのびのびと暮らせるように。また色々な国の貧しい子どもたちが、家で楽しく過ごして学校にも行けるように。そして、できるだけ多くの人たちを幸せにしてください。
 サンタさんも体をこわさないようにしてください。これからも、色々な国の子どもたちにプレゼントを届けてください。



大人の過ちを、まだ子どもであるRIOさんが止めたいと感じていることにドキッとしました。サンタさんに頼るまでもなく、まず大人が戦争をやめなくてはならないのに。結局、いつも一番の被害者は子どもたちなのですね。
RIOさんのストレートで絶対的に正しい発想に感動します。誰かさんや自分の都合、利害関係やらに縛られて、大人になると言うのが難しいことをズバッと言ってくれる子どもは天才です。RIOさんの優しくて真っ直ぐな気持ちが、サンタさんだけでなく、世界の大人に届きますように。

塾長

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2015年10月28日

雷のきょうふ

JUN(小5)

 ぼくは学校にいるときに、
「ガラガラガッシャーン。」
 といって雷がどこかに落ちてから、あまり電気の物を雷の時には使わないで、部屋のすみっこで雷が落ちてこないことだけを願ってしゃがんでいる。

 ある日、夕ごはんの前に、テレビを見ていたら急に電気が
「パッ。」
 と消えて
「うわーなんだー。」
 とぼくが言うとまわりがまっ暗だった。すぐにかいちゅう電灯を探して、早速つけてみても電池がなくて、光が出てこなかった。
「くっそぉー。」
 と言いながらかいちゅう電灯なしで、しぶしぶ三階に行って、電気のレバーを上げようとした瞬間に
「ガラガラガラーン。」
 と部屋中に雷の音が鳴り響いた。
「ひいー。」
 とぼくは、その場にくずれ落ちた。のんきな声でお兄ちゃんが、
「どうしたー大丈夫かぁー。」
 と二階から呼びかけてきた。ぼくはなんとか立ち上がり、電気のレバーを上に上げた。

 それから、雷の時はかいちゅう電灯を常に用意することにしている。




今年の秋は、台風や地震などの災害を含め怖いと思うニュースが多かったことから、「私のいちばん怖いもの」について書いてもらいました。

この作文は筆者JUN君の恐怖があまりにも素直に上手に表現されているので、本人には申し訳ないのですが、子供らしい可愛らしさを感じてしまい、微笑ましく思いながら読ませてもらいました。
たよりの懐中電灯の電池が切れていたり、ブレーカーのレバーを上げようとしたところで雷が鳴ったりと話の進め方も上手ですし、びびりまくっているJUN君と落ち着き払っているお兄ちゃんとの対比も面白いです。そして何より、雷の時は「部屋のすみっこで雷が落ちてこないことだけを願ってしゃがんでいる」という姿を想像した時、多くの方がこの主人公を愛さずにはいられなくなるのではないでしょうか。とても素直に自分を書くことができた作文でした。

塾長

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2015年10月17日

長い喧嘩

IBUKI(中1)

「ふざけんな!」
 ぼくが友達の◯◯君に怒鳴った。そうしたらその◯◯君も
「ふざけんな!」
 そしてぼくがムカついて
「お前が悪いんだろ。」
 と言ったら、◯◯君が叩いてきた。そしてぼくも叩いて叩き合いか引っ掻き合いが始まった。まず叩いたり、ビンタをしたり、蹴ったりした。途中でぼくが誤って◯◯君の目を引っ掻いて血を出させてしまった。だが◯◯君も仕返しとしてぼくの頬をグーでパンチした。そうしたらその乱闘中に□□君が
「二人とも喧嘩はそれくらいにしろよ。」
 と言い、ぼくと◯◯君が同時に泣き始めた。すると、
「二人とも何があったんですか。」
 先生が来た。僕達はずっと泣いていたので、その事は□□君が先生に全部話してくれた。

 その後ぼくと◯◯君は教卓で事情聴取された。
「何故こんな事になったんですか。」 
 先生がぼく達に聞いてきた。そうしたら
「こいつが悪いんです。」
 ◯◯君が言ってきた。ぼくも
「いやこいつが悪い。」
 と言い始めてまた言い合いが始まった。そうするとまた□□君が
「やめろよお前ら。」 
 と大声で言った。ぼく達はまた静かになった。だがまた小声で
「お前が悪いのになんで俺が怒られないといけないんだし。」
 と言い出したとたん
「だってお前が消しゴム取ったから悪いんだろ。」
「だって返すこと忘れてたんだもん。」
 また叩き合いや言い合いが始まった。また□□君が
「何回喧嘩するんだよ。」 
 と言った。だがぼくらは□□君に
「うるさい!□□君関係ないんだから話に入ってこないで!」
 と言ったら、□□君も
「ぼくは君たちを仲直りさせようとしてるだけなのに、なんで君たちに怒られないといけないんだよ!」
 と言ってきて三人で言い争いが始まった。
 そうしたら先生が
「三人とも静かにしなさい。もう授業は始まっているんですよ。」
 気付くともう一時間以上言い合っていた。
 ぼく達は少しずつ落ち着いてきて三人でいっしょに
「ふー。」
 と深呼吸をした。ぼく達は少しずつ落ち着いてきた。すると先生が
「今回の事は各家庭に電話します。」
 と言って三人とも校長室へ連れて行かれた。

 そして先生が隣の職員室から皆の家に電話して全ての家庭に今どんなことが原因でどんなことがあったか話していた。僕達はその間も小さな声でぶつぶつと自分の思っていることを言っていた。
「あいつが消しゴム取って、俺が少し怒っただけで、あいつが逆切れしてきたのに、なんで俺まで怒られないといけないんだし。」
「あいつに借りた消しゴムを返し忘れただけなのに、あんなに怒って、ぼくも言い返したただけなのになんで俺まで…。」
「俺はただ二人の喧嘩を止めたくて少し大声で二人に注意しただけなのになんであんなに逆切れされて言い返しただけで、俺まで二人といっしょにここに来ないといけないんだし。」
 と言っていると、また少しずつ声が大きくなって、また言い争いが始まった。
 すると、
「□□君は帰っていいですよ。」
 と先生が入って来た。そして□□君がランドセルや帰る用意をし始めて帰って行った。ぼくと◯◯君は
「なんであいつだけ帰っていいんだし。」 
 と言っていた。

 ぼくと◯◯君はその後、目も合わせずに先生とぼくと◯◯君で校長室にいたら、
「コンコン。」
 校長室のドアが鳴った。
「ガチャ。」
「失礼します。」
 入ってきたのは◯◯君のお母さんだった。そして数分後……。
「ガチャ。」
「失礼します。」
 ぼくの母親が来た。そして先生がまた詳しく親に説明した。親達が
「うちの子が失礼しました。」
 などと言って謝りあった。そしてぼく達も
「今度からは消しゴム貸したらすぐ返してよ。」
「今度からぼくも借りたものはすぐに返すよ。」
 と言い合って仲直りした。




 長く作文の指導をしていると、日頃は「誰かを傷つけない限りは自由に書いて」とか「思った通りに書いていいよ」などと言っているくせに、いつの間にか子どもたちの作文に予定調和を求めるようになってしまっていました
 この作文をはじめに読んだ時も、これでは何も解決してないし、結論がないなぁ、などと感じてしまいました。もっと安心できる結論を求めたのです。でも、ここにあるのは実にリアルな結末なのです。それは、一旦は仲直りさせたとしても、本人たちの中で納得していないものが残れば、また同じようなことで喧嘩するだろうという余韻を感じさせる結末です。ということはこの作文は実はものすごく良く書けているのではないかと、だんだん思えてきました。
 そう思って読み返してみると、子どもたち三人の掛け合いは脚本が用意されたコントのごとくテンポが良く、作文を書く段階で書き手が出来事を整理して、セリフを効果的に脚色し、「子どもの喧嘩」を書き上げたように見えてきました。なるほど□□君などは、いかにもクラスに一人は居そうなキャラクターですし、校長室に連れて行かれても、まだ小声でブツクサ言っている主人公たちの様子なども目に浮かぶようです。
 さらに、この作文中の喧嘩の構図は、自分たちのことは棚に上げて互いに相手のことばかり責めているどこかの国同士の落とし所の見えない外交問題と同じようにも見えてきます。「人間は大人になっても、ずっとこんななのかなぁ」なんて勝手に考えさせられもしました。
 さて作者のIBUKI君、これだけ自分たちのことを客観的に描く目がある自分の高い能力を大切にしてください。今回は消しゴム問題で喧嘩したわけですが、何かのことで揉める場合、実はそこに至るまでの細かい出来事の積み重ねがあったはずで、消しゴムは最後の引き金にすぎないなんてことも多々有ります。ある一点だけを解決しようとしても無理があるのです。消しゴム問題が今後起こらないようにするにはどうすれば良いか、本当の解決ができるのであれば、IBUKI君が大人になったときに多くの難題を解決することができる凄い人になれると思います。ひょっとしたら外交問題でさえも。
 ところで、この作文を読んだ同年代の子どもたちの反応は、「面白かった。」というなんともストレートで好意的なものが多かったことを加えておきます。それはつまり、同じような経験をしたり、見たりした子どもが多いこと、それを分かりやすく伝える力がこの作文にあるということなのだと思います。
 それにしても今回は自分への反省も含め、考えさせられることの多い作文でした。そして何よりも、いつの時代もお母さんはありがたいものだなぁ、と改めて深く深く思いました。

塾長

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2015年10月15日

うれしい一日

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REO(小4)

 左足をペダルにつけて右足を地面につけた。ぼくは、自転車をこごうとしたけど、こいだらすぐにたおれた。
「はぁ〜。」
 ぼくは失敗したので、ため息をついた。
「今日は、もうむりだ。」
 ぼくは、家まで自転車をおして帰った。ぼくは、一瞬体が重く感じた。ぼくはそれから一年以上自転車に手をふれなかった。

 一年生になって自転車の練習をしようとした。それは周りに自転車に乗っていた子たちがいて、おもしろそうだから、やろうと思った。
 休みの朝、ぼくは近くの公園で練習をした。たおれそうな時は、いつも地面に足をつけた。なぜかと言うと、前よりぼくの体が大きくなっているからだ。何回もくりかえして、急にできた。できた時、うれしくて
「やったー!」
 とさけんだ。
 次に止まる練習をした。どうやって練習したかと言うと、公園にある鉄棒の所までこいで、ぶつかりそうになった時に止まる練習だ。
 ぼくはペダルをこいだ。もっともっとスピードを上げた。風が顔に当たった。鉄棒にぶつかりそうになった所でブレーキをかけた。ぎりぎりに止まった。
 その後は、ぼくは自由に自転車をこいだ。すべり台のすべる所までこいだ。止まろうとしてブレーキをかけた。でもブレーキがきかなかった。
「ガシャ︎」
 自転車はすべり台にぶつかった。ぶつかった時、ぼくは目をつぶった。ぼくが目を開けた時、自転車がすべり台にちょっとだけ、上がっていた。次からは、ブレーキをちゃんとかけるようにした。

 それから自転車で友達の家に行ったり、おじいちゃんの家に行ったり、いろんな所へ行けるようになった。自転車は歩くよりスピードが速いから楽しい。




多くの人が当たり前のように乗っている自転車。でも、初めはその練習で苦労をした方も多いはず。この作文を読んで、僕も友達に会うことがない早朝に、一人でこっそり練習したことを思い出しました。そして初めて自転車に乗れた瞬間の喜びや、自分の足で進む時とは違う推進力に驚いたり、わくわくしたりしたことを思い出しました。
また、初めて練習した時には挫折した話に始まり、少し年月がたって再挑戦し成功するという構成も読みやすく、主人公のその時々の様子や気持ちが分かりやすく伝わってきます。

塾長


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2015年10月14日

雨と太陽

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HANA Y.(小6)

 雨の日はいつもの日と違ってつまんない。学校まで歩く長い道。傘に強く当たる雨。
 いつもなら長い道にも楽しさがあふれている。太陽に向かって一生懸命な草花。雲ひとつない美しい空。小鳥のさえずり。朝の光に伸びする猫。川で水遊びするカモ。毎日が楽しい、そう思う。つまんない授業中も窓から見える風にゆれる木々。大空でつばさをめいっぱい広げる鳥。そんなものたちを眺めているとなぜか安心できる。
 今日は雨だ。朝から雨が降り続いている。今日は……何もない。空も、小鳥のさえずりも伸びする猫も。何一つ。雨に流されたのだろうか?教室の窓をのぞくと木は雨に強く打たれ、悲痛の声をあげている。鳥たちはどこだろう。家で身を縮めおびえているのだろうか。次々と疑問がわいてきた。
 すべての授業を終えた時、日の光が窓を差す。優しい光だ。だけど強く雲を切った。
 私が外に出た時、外はいつもと少し違った。花や草、木からは雨の雫がゆっくりと落ち、輝いている。その時、思った。雨は生命だ。草木に生を与える。こんな世界も素晴らしい。そう思った。




 今回の作文は、書き手の精神的な成長がそのまま文章に現れているようで、驚きました。  
 まず、書き手は晴れの日が好きだということを語り、その一方で雨の日のマイナス面を語っています。以前ならおそらくここまでの内容で終わるところですが、成長したHANAさんは、そこから、雨が止み太陽からの光が差す瞬間を描き、さらに前半で否定していた雨の良い面に目を向け、肯定しています。
 ものごとを一方向からだけ見るのでなく、両面から、あるいはもっと多くの面からとらえる力が育ってきていることを強く感じさせてくれる作文でした。長く同じ生徒さんと付き合っていると、時々、このような成長や変化の瞬間に出会うことがあります。こういう時が、この仕事をしていて良かったなぁ、と思う瞬間でもあります。HANAさんの今後の変化に要注目です。


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2015年09月19日

イジメはするな

KOTARO M.(小6)

 ぼくにとって一番こわい事はイジメです。イジメは、人に傷をつけて嫌がらせなどをします。その結果イジメられた人は、生きているのが嫌になり、自殺などしてしまう人もいます。集団でせめたりするのは、もっとこわいです。悪口や暴力などもあります。

 ぼくの学校は、イジメなどがほぼ無いですが、イジメに近い事ならよく見かけます。学校に行くのは、楽しいですが、ニュースなどでイジメで亡くなった人の話などを聞いて、もし自分がイジメられたらなどと考えるとすごくこわいです。

 だからイジメが無くなるためにイジメられている人がいたら助けてあげたいです。ぼくがもしイジメられたら親や先生や友達などに相談できるようにしたいです。




このところ台風や地震など災害など怖いと思うニュースが多かったことから、今回のテーマは「私のいちばん怖いもの」でした。

イジメは現役小学生にとってはあまりにも身近で現実味のある恐怖なのですね。でもKOTARO君は、イジメがどんなものか、それによって何が起こるか、さらにはイジメに出会ったらどうするかまで考えているので、頼もしく感じました。今回の作文では、イジメに対する態度という意味でも感心しましたが、このように自分の考えを言葉ではっきりとまとめられる力がついてきたことにも感心しました。

塾長


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出てくるな!

HANA Y.(小6)

 私の一番怖いものはお風呂の中。
 お風呂は、シャンプーで頭を洗ったり、体を洗ったり、ひまな瞬間が多すぎて、私は頭の中で色々と想像をして自分で自分を怖がらせている。
 お風呂は不思議と頭に怖いものが次々と浮かんでくる。たとえば、貞子が来たら、天井で何かが見ていたら、排水口から手が出てきたらそんな考えが頭をかけめぐり、私を恐怖へと突き落とす。
 お風呂は、怖い記憶も呼び起こす。去年観た「ほんとうにあったこわい話」も忘れていたのが、お風呂に入ったとたん泉のごとくわき出てくるのだ。お風呂が終わった後もその恐怖はつきまとい、私をおそうのだ。



このところ台風や地震など災害など怖いと思うニュースが多かったことから、今回のテーマは「私のいちばん怖いもの」でした。

お風呂は気持ちよくリラックスできる場所だとばかり思っていましたが、なるほどひとりきりで、しかも色々と物思いにふけることもできる時間であり空間です。たしかに怖いことを想像しだしたら止まらなくなりそうですね。排水口から手が出てくるという一文を読んで、僕も子どものころに同じような想像に悩まされたのを思い出しました。おそらく、この作文に共感される方も多いのではないでしょうか。

塾長
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2015年08月15日

気持ちで暑熱慣化

TAKUYA(中2)

 僕が勝手に一番暑い時期だと思っているのは七月と八月の終わりだ。その頃が最も日差しが強く照りつける。その時期をピークに気温が緩やかに下がっていくと思っているのだが、今年はエルニーニョ現象がチリの方で起こっているらしく、こちらの気温も依然として高いままだ。ニュースキャスターも、三十五度を超えたら暑い、超えなかったら涼しいというノリだ。

 ただ、最近は気温というものに囚われ過ぎているのではないかと僕は思う。例えば、三十五度でも、土の上に立ち木陰にいて風が吹けば、かなり暑さが和らぐだろうが、三十二度であっても、多湿でコンクリートの上、日差しをもろに浴びるという状況では、四十度にも感じられるだろう。

 気温は絶対的な数値だから、指標にはなるかもしれないが、結局は気持ちの持ちようだと思う。




日頃から大人びた文体と内容が持ち味のTAKUYA君。今回もいちいちもっともで、「今日は猛暑日だ」、「三十四度しか行かなかったら少しましだった」などと数字に振り回されている僕としては、感心せずにはいられない作文でした。一歩引いて、冷静に物事を見ることができるTAKUYA君のスタンスは、今後の彼が生きていく時間の中で大きな武器になることでしょう。そんなことを思いつつ、やはり今日の気温が気になってしまう僕でした。

塾長

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プロフィール
名前:塾長
自由が丘で作文教室を運営。
小学生から高校生まで広い年齢層の子供たちとともに、書かされるのではなく、書きたくなる作文を目指して活動中。