2019年04月25日

ろうそく

SUMIRE(小6)

 「ハッピバースデートゥーユー…」
 ふと私はろうそくの火を見る。 
 今から六年前。私がまだ小学一年生になる少し前のこと。

 「九十一本ろうそく立てるの〜?」
 いとこのぜんが、おばあちゃんに聞く。
「さすがにそれは大変だから九本にしよっか。」
 私のひいおばあちゃんは九十一歳。でも、ひいおばあちゃんは九十一歳に見えないほど元気。杖だってついていない。私と一緒にお菓子だって食べてくれる。
「ひいおばあちゃん、お菓子食べよ〜。」
「分かった。今行くわね。」
 ひいおばあちゃんはすぐに私の元に来てくれる。
 誕生日から数日たった。お母さんの携帯に一通のメールが届いた。それは今日本当だったら来るはずのおばあちゃんが来られなくなったというメールだった。ひいおばあちゃんが風邪をひいたらしい。とたんに私はひいおばあちゃんが心配になった。年をとるにつれて、ちょっとの風邪が重病になってしまう。
 その日の夜、ふとんの中で私は心配していた。
「今何しているかな〜。熱あるのかな〜。」
 そんなことを考えているうちに、私は眠りに落ちた。

 「九十七本ろうそく立てるの〜?」
 いとこの花がそうおばあちゃんに聞く。
「さすがにそれは大変だから九本にしよっか。」
 パパが火を灯す。フォーン、フォーン、フォーン。
 今、ひいおばあちゃんはお菓子を食べない。けれど私が呼ぶとゆっくりだけど来てくれる。私はそれだけで嬉しかった。私は六年前のようにろうそくの火を見た。そして心の中で、心を込めて言った。元気でいてね、ひいおばあちゃん。




「今、ひいおばあちゃんはお菓子を食べない。けれど私が呼ぶとゆっくりだけど来てくれる。私はそれだけで嬉しかった。」
この部分を読んで僕が最初に感じたことは、自分が九十七歳まで生きられたとして、その時に、誰かが僕のことを呼んでくれるだろうか?たとえちょっとの用事だとしても、来て欲しいと思ってくれるだろうか?ということでした。そんなことを考えながら読み返して見ると、実はこの場面、曽祖母様にとってとても幸せな瞬間なのではないかと感じられました。同時に、愛するひ孫に呼ばれて、億劫ながらもよっこらしょと体を動かす時の曽祖母様の嬉しさや表情が思い浮かび、なんとも温かい気持ちになりました。人は誰でも年を取るにつれ、それまで当たり前にできていたことができなくなって行きます。そのことを実感できるだけの時間を生きて来て、ようやく僕が気づけることを、SUMIREさんは無意識であれ、すでに気づいているようです。でなければ、ただこちらに来てくれるだけの行為を嬉しいとは感じられないはずです。呼ぶ人も呼ばれる人も同時に一つの小さな幸せの中にいるこの場面を、そういう小さな幸せの形を、まだ小学六年生の筆者が見つけて書いてくれたことに、僕はちょっと感動しました。
もちろん、この作文はそれ以外にも多くの工夫が含まれています。ろうそくの炎という象徴的な光を主人公が想いを馳せる際のきっかけに使っていること。それをタイトルに選んだこと。六年前と今で変わったことと、変わらないことを描くことで、時間の流れを表現していること等々です。でも今回は、そういう技術的な進歩以上に、SUMIREさんの大切なことに気づける力に感心させられました。

塾長





posted by 塾長 at 14:26 | Comment(1) | TrackBack(0) | 作文紹介
プロフィール
名前:塾長
自由が丘で作文教室を運営。
小学生から高校生まで広い年齢層の子供たちとともに、書かされるのではなく、書きたくなる作文を目指して活動中。